発達障がい てんやわんや 日記

発達障がいもちの しおり と 定型発達である 有里さんの ドタバタ日常。

家出を繰り返す

わたしは、今年の二月からバイトを始めることにしました。バイトが終わると、疲れてしまって帰りたくなくなり、車の中で仮眠するようになりました。

 

 この時は、バイトが終わって(夕方6時から10時までのレジ)、遊里庵にかえりたくなくて、最初は有里さんに帰りが遅くなりますって連絡して、日付がかわる直前まで車にいました。日を追うごとに帰る時間が遅くなり、車で寝て遊里庵に帰るのは朝5時とかになりました。

 

人に会うと、その反動でだれにも会いたくなくなることがあります。1人しかいない空間をすごく必要としていて、家の中に誰かの気配があることに耐えられない。だれにも話しかけてほしくない。だれにも、だれにも・・・。

 

そんな自分の思いばかりが自分の中を支配していました。

そこに、誰かが心配しているとか、この選択をしたらだれがどんな思いをするのか、そういうことは思いつきません。

 

ただただ、”一人がいい”という思いに支配されていただけです。

 

しばらく有里さんは、私が遅く帰ることに何もいいませんでした。

気づくのを待っていたのだと思います。

 

私は気づかず、繰り返しました。そして、有里さんが伝えないといけない、教えないといけない!と心が決まった時初めて、私に私が帰ってくるまで心配して起きて待っていることを携帯で連絡してきました。

 

話し合いは私が、朝帰りした五時からはじまり数時間に及びました。

私がなぜ、遊里庵にまっすぐ帰ってこないのか。帰ってこないことでなにが起きるのか、心配するってどういうことかも、自分にはわからないこと。一つずつ一つずつ確認しました。

 

有里さんが話していることは、わからないところもありました。でも、真剣に伝えていることは、わかりました。私が車で寝ると、私の体が十分休まらないこと。そして有里さんに心配をかけて有里さんも眠れず、心と体が疲れ果ててしまうこと。

私の選択は、自分の望みを叶えているようでいて、私自身も有里さんも痛めつける行為でした。

 

この会話がきっかけで、わたしはバイトの後に帰らないという選択をしなくなりました。

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人の気持ちを想像できない私は、いろんなことで回りの人を振り回してきたのではないかと思います。それを指摘する人は今までいませんでしたが、今は有里さんが何かがおかしいと感じた時、真剣に伝えてくれています。

 

しおり

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しおりちゃんが1年の予定で、農的暮らし体験のために遊里庵に暮らし始めて、家はなぜか、落ち着かない空気になりました。わたしは、自主性を重んじて、田舎暮らしの仕事をしおりちゃんが自分で選んで動き出すだろうと、待っていたのですが、(最近やっとわかったことには、)しおりちゃんは指示命令形でのみ動ける脳のスイッチがあり、指示命令がない限り、自主的には動き出すことができずにいたようでした。

 

しおりちゃんは食べることは好きだったので(笑)、わたしは、直観的に、毎日心を込めて取り立てオーガニック野菜でたっぷり料理していました。食べて気に入ってもらった料理を、手とり足取り、教えるようになって、家の雰囲気は落ち着きました。

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お料理を教えてもらい、自分で作るように促されて、しおりちゃんの活躍の場、居場所ができました。掃除洗濯など、毎日同じ仕事は言われなくても気持ちよくやってくれてありがたいです。

ところが、細かな説明なしに頼んだ仕事は、ミスが頻繁に起こりました。たとえば、封筒の差出人のスタンプを押すように頼んだ時は、薄くて読めない状態でできあがった封筒がたくさん重ねてあり、びっくりしました。読めないスタンプでは、押した意味もないと伝え、苦労してやり直しました。

ミスを平然とやってしまう理由は、その時は分からなかったけれど、やってることの意味を考えず、自動ロボットのように仕事をしてしまうからでした。

 

そのときは、わけが分からなかったけれど、手とり足取り教えないと不安で、そばにつきっきりで教えていったのです。その時は、「今どきの若者は・・・」と思ったりしていたのです。

また、暮らしのお金は、出し合って一緒に田舎暮らしをしてゆこうと思っていましたが、彼女は自分の必要なものを買うことも、生活費を入れることも頭にない感じで、8か月は、買い物はすべてわたしがして、温泉や映画や外食の代金もわたしが、支払っていました。彼女はお金は持っていたようですが、それを減らさないと決めているように感じました。

8か月して、生活にはお金がかかることを説明しないといけないと感じました。説明すると、とても驚いて信じてもらえないのです。

インターネットで検索して、ひとりの暮らしに、一番安くていくらぐらいかかるか?などの情報をググって、一緒に調べました。食費、光熱費、水道代、その他、基本的な生活にかかるお金の一部分でも、遊里庵に入れるように話しました。

誰かにずっと養ってもらい続けたら、不平不満を感じるばかりではないか?自分で生きる場所を選び、できることをやってゆけば、自信ができてどこでも生きてゆける自由が生まれる、と話しました。そのとき、親に払い続けてもらっている携帯代も自分で払うことを決めていました。

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そんなこんなで始まった 地元のスーパーのレジのバイト。バイトの面接に行けるまで、2か月かかりました。社会に出ることが、とても怖かったようです。

週に2~3日、4時間程度でしたが、バイトのあと、帰ってこない日が続きました。

しおりちゃんは、人に会うことが疲れるのだろう、処理できない情報が飽和状態になると姿を消したくなるのだろう、と察しましたが、そのたびに、疲れた体で狭い車の中 布団もなく仮眠していると思うと、わたし自身が苦しくなるのです。翌日は、しおりちゃんもわたしも、寝不足で疲れていました。自分も周囲も苦しめる行動パターンを繰り返してると感じました。

広い遊里庵は、蔵も入れたら10部屋あり、そこには長男は東京に行ってることが多くて、わたしとしおりちゃんしかいません。

わたしはしおりちゃんの邪魔をしようと思ってないし、家でお風呂に入り、布団で眠ってほしいのです。

ある日、ふっと気がつきました。もう、こんな不健全な習慣はやめてもらおうと、眠ろうとする努力をやめて、話し合うことを決意し、朝まで起きて待っていました。

「眠らずに待っている。家に帰ってきて。心配している。」と携帯でメッセージを送り続けて、朝5時、帰ってきたしおりちゃんと玄関で、話し合いました。

しおりちゃんは、「心配」の概念が理解できず、驚きました。いろんなたとえ話をして、やっと伝わりました。人は人のあたたかい想いと配慮で、危険から守られてゆくものです。

しおりちゃんが、狭い車の中、布団もかけずに苦しい想いで寝ている時、家族もまた、苦しい想いで気にかけています。

自分も周りも気持ちよく休める状況を選ぶことが、ほんとうの自由であり、「一人が一番安心」と思い込み、「反応」している自分は、過去のトラウマに囚われて、現実が見えなくなっているのではないか?と話しました。

「しおりちゃんが疲れて仕事から帰ってきたら、わたしは邪魔しないよ。お風呂に入ってお布団で眠ればいい。」

バイトが終わって疲れ果ててそのまま車で眠りたくなったら、家帰ればあたたかいお風呂と、気持ちのいいふとんのあることを思い出そう、そこへ帰って眠ろうと、あたらしいプログラムを繰り返し伝えました。

それから、しおりちゃんは、迷わずまっすぐ家に帰ってくるようになりました。

このブログを書き終えて、改めてしおりちゃんに聞きました。

「車で寝るのと、家で寝るのとどっちがいい?」

今夜のしおりちゃんはクールです。表情を変えずに、「やっぱり家ですかね?」と、

言い放つ感じで(笑)  しかし・・ほんとに良かった!

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 しおりが遊里庵(有里の自宅)に暮らし始めたいきさつは、こちらから読めます。

しおりちゃんが、遊里庵(ゆうりあん・有里の自宅)にやってきた - 発達障がい てんやわんや 日記