発達障がい てんやわんや 日記

発達障がいもちの しおり と 定型発達である 有里さんの ドタバタ日常。

自然とふれあうこと お散歩すること

私は、遊里庵に2017年の4月に遊里庵に来て、有里さんと畑の作業をしました。私の「食べるものを自分で作りたい」という言葉を、有里さんが覚えていてくれて、実際に有里さんの畑で、野菜を作ることになりました。

 

でも、その時の私は「これで自分で自分の食べるものを作れるぞ!やったー!」という気持ちはなく、なぜスコップで畑の畝をつくってるんだろう?とか思ってました。(耕運機で耕すのではないのか?)畝を一つ作るのも、一日かかって、溝を掘るのも全然掘り進められない。有里さんが反対側から掘り始めて、わたしが立っているところまで掘り進めて、ほとんど有里さんが掘ってしまいました。

 

自分の言葉と、思いと行動がつながっていない。

疲れることはしたくない。でも食べるものは安全なものがいい。という我がままな思考をしていました。

 

農作業=疲れること

 

そういう図式が出来上がっていました。

 

有里さんは畑をして、神社まで散歩に行くというのが、お決まりのコースだったようで私にも勧めてくれました。当時は、「散歩に今から行くの?!なんで?」と思ってて、意味がわかりませんでした。

 

ある日、有里さんは用事があったので、畑をした後に遊里庵に帰ることになり、私は一人で神社まで行くと言いました。

 

でも、その時の私は体力がなくて、村の山際の鳥居の下で寝っ転がって寝てしまいました。ぽかぽか陽気で、とっても気持ちよくて、人影もなくて、寝ていてもだれも、気にしないだろうと思っていました。

人の目よりも草の上で寝転ぶ気持ちよさや、眠さのほうが勝ったのです。

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そのことを、有里さんに話すと、大笑い。今まで森の中でワークするとき、近くの森の中で寝転んだりする人はいたけれど、見晴らしのいいあの場所で寝転んだっていう人は初めてだよ。きっと、村の人たちは、不思議に思ってたんじゃない?って言われました。

 

今の私は、畑とお散歩は有里さんと同じようにセットになっています。

それは、自分にとって気持ちいいことだってわかったから、そして、それを繰り返すと体力もついてきて、気力も持つようになりました。

 

散歩を繰り返すと、心が安定する気がします。森の木々の間を、通り抜ける風の音。鳥の声。水のせせらぎ。

そういう自然の音に耳をすませる時間が、私は好きです。

 

しおり

 

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畑の楽しさ、散歩の気持ちよさは、最初は分からないかもしれない。

ある程度続けると体が元気になり、心も清まって、気力も蘇るので、その楽しみ方が分かってくるような気がします。

また、わたしの暮らす過疎の村で、畑を心から楽しんでやってる人は数人しかいないなぁと感じるのです。広大な面積に単一作物を農業機械や農薬、除草剤を駆使して効率的に生産するのでは、工場とあまり変わらず、いのちに触れるゆっくりとした時間も空間も生まれてこない気がします。

自分が食べたいものを各種育てている無農薬の菜園は、遊里庵をいれて3か所あり、草も生えて虫もいて、野菜に花も混じって、個性的でのどかで楽しそうに見えます。

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畑に行くとやりたいことが次々出てきて、時間はあっという間です。刈った草は肥料になり循環するし、帰りには山ほどの野菜を畑からいただいて、無限なる循環に感謝でいっぱい。からだを動かして実感を得て、満ちる感謝は生きる力になります。

とれた野菜を入れた籠は日陰に置いて、さらに山を登ります。

山の中に神社があり、森を30分登ると境内に着きます。雑念が清められ、インスピレーションがわきます。「散歩」は、かけがえのない森林セラピーの時間で、素晴らしい散歩道ですが、そこを日常的に歩く村人は、今はわたしとしおりちゃんくらいです。

歩くことで、筋力がつき、心身がリフレッシュし悩みが洗い流され、よきアイデアがわき、良いこと尽くしなのですが、続けてみないと分からないので、日々の情報の多さと忙しさに、人はシンプルなことの素晴らしさを忘れてしまいがちなのかもしれません。

散歩するには、自分の時間、情報、生産性を手放す意思が必要で、その時にこそ、この宇宙にあるべき姿で蘇るクリアリングが行われることを分かっていれば、続けられる気がします。邪気がなく純粋であることが生きる喜びの源だと感じます。



しおりちゃんも、「畑をやりたい」と言って遊里庵に来たのですが、始めて見れば、畝のひとつも一人で作れそうになかったのです。なんでこんなことやらないといけないの?と「いやだ」の「反応」が起きていました。

片道30分の神社への散歩などは、「なんのため?わけわからない。」と思っていたと話してくれました。

便利な社会で生まれ育った世代は、心身に力がなく、豊かで気持ちのいい仕事も、楽しむ前に、「疲れること」と頭で認識、拒絶反応が出てしまうのだと思います。

 

来た当初は、仕事らしい仕事はできればやりたくなくて、昼になるまで眠り続けることが最大の楽しみという状態だったと思います。

自然とふれあうと清まるので、まずは、自然と触れ合う時間を提案しました。食べることも大好きだったので、丁寧に美味しいお料理を作り、庭で食べてもらいました。歌うことが好きなようだったので、一緒に歌いました。

そして、基本的な暮らしが整ってゆくように、手とり足取り料理を教えました。なるべく畑のとり立て野菜を使い、素材のおいしさ、種類の組み合わせで味も風味も変わることを知ってもらい、毎日ふんだんに、青空の下で、縁側で語らいながら食べました。

物事を大きなサイクルで見てゆけるように、畑は一年を体験することが自分を知ることであると意図を伝えました。

日々歩く散歩道も一年で様相が変わってゆきます。地球という環境に生かされていることを実感してもらうことが、自分を知る手掛かりになると感じ、外で過ごす時間をたくさん作りました。

次の世代を育てるつもりで、自然と共にある暮らしの楽しみ方と仕事の両方を、伝授していったのです。

ある日、突然やってきたしおりちゃんに この世で豊かに生きてゆけるように、なすべきこと全力トライし始めたのは、家出をした次男八星が、この世での生き方を見つけらず、いのちを全うできなかった悲しい出来事があったからだと思います。

 人と違っても、あなたは素晴らしい!個性を生かして、豊かに生きてい行けるその方法を教えてあげたかった。

悔やんでも悔やみきれない悲しみの中で、わたしの中に「社会的母性」が生まれたのだと思っています。


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しかし、しおりちゃんは、教えても忘れてしまうし、理解できていない「概念」がたくさんあることは、発達障がいと分かる前からも、手応えのなさで察することはできました。

どの程度理解し、記憶に残るのかは 分からなかったけれど、有機的な体験を積み重ねることが鍵かな?と、一日いちにち、できることを、本気でかかわりました。

それが、思いも寄らない「てんやわんやな日々」となり、ひとりの人間が自分自身と出会うまでの宝物のプロセスがどんどん展開してゆきました。今もその物語は続いていて、日々がやっぱり「てんやわんや」です。うれしいことも、悲しいことも、苛立つことも全部含まれて 物語は展開してゆきます。

この日記は、しおりちゃんがすごい勢いで書き進めるので、わたしは睡眠時間を削って追っかけて必死で書いています。笑(何日も前に、しおりちゃんがブログページを自主的に開設して、わたしが書くのを待っていました)

しおりちゃんは、この日記を始めて反応がとても多いことと、ありのままの自分にあたたかい声援が届くことが、とてもうれしくて 希望に満ちています。

ひとりひとりのありのままの自分と出会うチャレンジする日々は、ユニークで想像を超えた宝物なのだと思います。




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ところで、話を本題に戻すと、しおりちゃんは、いつの間にか、時間が許せば、「畑と散歩に行ってきます!」と、元気よく、一輪車に野菜かご、鎌、収穫のハサミなどを積んで出かけてゆくようになりました。畑と散歩に行く時間を作るために、家事をテキパキこなすようになっています。

遊里庵に来るようになって、数か月後、ある朝突然、普通に起きれるようになったのです。

「一日は24時間しかない。という言葉が頭をぐるぐるまわりだした」と。暮らしの仕事を自らの意思でやるようになり、教えられたことは忘れないように、こまめにメモをするようになりました。

わたしは、しおりちゃんの暮らしを、自然界はいつも見守り、それぞれに必要なメッセージを必要なタイミングでダイレクトに伝えてくれているような気がしています。

有里

 

 

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しおりが遊里庵(有里の自宅)に暮らし始めたいきさつは、こちらから読めます

しおりちゃんが、遊里庵(ゆうりあん・有里の自宅)にやってきた - 発達障がい てんやわんや 日記