発達障がい てんやわんや 日記

発達障がいもちの しおり と 定型発達である 有里さんの ドタバタ日常。

違う話に書き換わる


sshiu.hatenablog.com

 

先日、家出を繰り返していたことを、投稿しましたが、その当時書いていたブログ記事があったので掲載します。

 

今、読んでみると暗いし、解決方法も書いてなくて、なげっぱなしな印象を受けます。

 

そして、今わかるのは、私は話の中で出てきた単語を拾って、自分で物語を作ってしまう癖があること。

 

有里さんが伝えようとすることを、理解できていなかったことがわかりました。

 

「痛手を受ける」も「幻想だよ」という言葉も、実際に言われた言葉ですが、ここに書かれているような意味では、伝えていないよと有里さんから教えられました。

 

痛手を受けるのは有里さんではなく、私の両親のことだったし、車で寝たり一人のほうが気楽だという思考が幻想だということ。

 

人から離れよう、離れようとしているときは、それらの言葉を、曲解していました。

 

自分が、受け取りたいように言葉を受け取り、相手が伝えようとしたこととは別の話の流れを自分で作って、さもそれが本当であるという風に思い込んでしまうのです。

 

しおり

 

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 しおりちゃんと暮らし始めた1年5か月前、旅の途中で遊里庵に立ち寄った時とは違って、しおりちゃんは緊張して、遊里庵に登場した。

しおりちゃんから受け取り続けた言外のメッセージは「一人になりたい」。

一時的なつながりであれば安心できるのに、長い付き合いは怖い・・避けて来たという。その理由がイマイチ分からなかったけれど、最近、発達障がいだと分かってから、分からないことは正直に「分からない」と言い、分かったふりをやめてから、理解できるようになった。

 

定型発達の人たちは、説明されなくても見聞したことは、「察して」身に着けてゆく。しおりちゃんは、説明されないこと、未経験なことは分からないままだから、分からないことが、あまりにも多かった。

例えば、志織ちゃんは遊里庵のイベントを主催したが、イベントを主催したら、声掛け(集客)をすることは思いつかず、当日、申し込みがゼロでも、誰も来ないということを、わたしに伝える必要に気がつかなかった。申し込みがゼロなら、会場準備も受け付けもその日は必要がなく、別の仕事をしたらいいことが分からなかった。

考えてみれば、そういうことは誰も教えないが、誰もが当たり前に対処している。

しおりちゃんは、呆気にとられたわたしに、過去の出来事を話してくれた。

「何人かで待ち合わせしていて、ひとりが遅れるってわたしに連絡くれたのだけど、そのことをみんなに伝えることを思いつかずに、みんなで○○ちゃん遅いねって、待っていたの。」

「時間に遅れる。」と伝えられても、「みんなに伝えてね。」とは言われなかったから、伝えていいのか悪いのか?分からなかったという。

初めてのことは、誰かが説明しないと、どうしていいか分からない。自分で考えることが難しく、指示命令が必要だという。

しおりちゃんが「分からずに」いることには、誰も気がつかない。

分からないと、「そんなことも分からないの?」と馬鹿にされ、怒られるから、分かってるふりをした。分かってるふりをしても、なにかまずいことが起きてしまう。なにが悪かったのかも分からないので、記憶から消した。

一人が一番安心。トラブルが起こらない。

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たいへんな世界をサバイバルしてきたんだな~と思う。よくここまで来れたね。
分からないことはそう言ってくれるのが、一番いいけれど、しおりちゃんはみんなと違う自分がどう生きたらいいのか分からなかった。

分からないことは根気よく教えている。そのたびに、ええ?こんなことも分からないの?って心からびっくりしちゃってるのだけど、まあ、お互い、辛抱強く行きましょう。

パソコンなど、マニュアルを読んで扱うものは、マスターするのが抜群に早い。
あまりに違った個性なので、相手がなにを感じてるのか、どう認識しているか?ひとつひとつ確認することが大事だと思うようになった。

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話しをするときに、話がほんとうに理解されたかどうか?言葉より、雰囲気で察していた。分からなそうにしていると、どこが分からないか、細分化して質問して、分からないところを突き止めた。

 

この頃は、しおりちゃんが、「有里さんすみません、意味が分かりません。」と言うようになって、コミュニケーションが画期的に楽になった。



人との出会いは、コミュニケーションから始まる。暮らすとなるとなおさら。理解しあえるまで根気よく話し、そこで生まれるフィールドが安心して生きる場になる。

しおりちゃんが書いているように、話したことが、単語を拾った別の話に書き換わることがある。そんな時は、誤解が生じて、不穏な目つきや空気になっているので、気配が落ち着くまで、同じ話をいろんな角度から話してみて、腑に落ちるまで 数日かけるのだけど、すべては伝わらなくても、愛(あたたかいエネルギー)は伝わり充電されているのではないだろうか。

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二人が話すのに、役立つアイテムとしては、畑や散歩など、心が柔らかになる土や緑とのふれあいと、祈りと瞑想の時間がある。念仏と瞑想で心が浄化され、静まり、世界観をが広がると、しおりちゃんの理解力が増すのが不思議です。

話しが分からない(入ってこない)とき、しおりちゃんから、
「今は、有里さんのしゃべってること、音は聞こえるけど、意味がわかりません。念仏・瞑想(あるいは散歩)のあとなら、分かるかもしれません」と提案してくれる時があって、リラックスすることや、自然と触れること、霊性を呼び覚ますと、コミュニケーションが不可能だと思ったことでも、可能になることが分かってきている。

 

 

 

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しおりが遊里庵(有里の自宅)に暮らし始めたいきさつは、こちらから読めます

しおりちゃんが、遊里庵(ゆうりあん・有里の自宅)にやってきた - 発達障がい てんやわんや 日記

 

オウム返し

有里さんと、生活をともにするようになって、しばらくたったとき、お店でごはんを食べることになりました。

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その時有里さんから、「何食べたい?」ときかれて、私は「何食べたい?」と言葉を発していたようでした。

その時、有里さんが「しおりちゃん、同じ言葉を繰り返しているよ。それ以外にも、何かを聞かれたときに、間がなくって、あーとかうーとか言っているよ。」と教えてくれました。

 

私は、この時言われたことがわかりませんでした。言葉を繰り返している?間がない?え?

頭の中には疑問符がたくさん飛んでいました。

 

私が言葉を繰り返すのは、その質問は、これで間違いないですね?という確認の気持ちと回答を考える時間が欲しかったから、そのようにしていました。

 

でも、普通の人はそういうことしないよって有里さんがいっていました。

 

そして、人の言葉のあとにあーとかうーとか言っているのは無意識だったので、全然記憶に残っておらず、言ってるよと言われても信じられませんでした。 でも、それを教えられてからしばらくたつと、自分がその言葉を発していることに気づきました。「あ、これか!有里さんが言ってたことがやっとわかった。」と有里さんに報告しました。

 

質問を繰り返すのは、一度自分の言葉に置き換えて、安心したかったから、回答を考えたかったのは、質問者が欲しい答えを想像するため。

 

自分の意見ではなく、質問者が気に入るような答えを言うことを最優先してきました。それは、質問してきた人の「こう言ってほしい」という気持ちを感じていたからかもしれません。

 

有里さんから、人が求めている言葉じゃなくて、本当に自分が思っていることを言えばいいよ。と言ってもらえたことで、オウム返しや、人に合わせて回答していくことがなくなって楽になりました。

どんな意見でも伝え合っていくこと、自分の癖は自分で気づくことで直していくことができる。と教えてもらいました。

 

後に、わかったことですが、発達障がい者の特徴の一つに、言葉をオウム返しにすることがあるそうです。でも紐解くと、原因があり、それを自分で理解できれば、オウム返しすることやめることもできるのです。

 

しおり

 

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しおりちゃんが遊里庵に暮らし始めてから、発達障がいではないかと友人が言ってくれたのは、1年1か月たったころのことでした。

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それまでは、彼女独特な行動形態の理由がわからず、違和感や疑問を感じることが多々ありましたが、直したほうがいいと確信したときに、初めて伝えました。

言葉の返し方、思考のながれや行動に癖があり、なぜだろう?と思っていたのです。

どこかいつも緊張している若者が、さらに気にするといけないので、長い目で見て、半年くらいしてから伝え始めたと思います。その癖は、人との距離を隔ててるような気がしてならなかったからです。

伝えてみて、びっくりしたのは、しおりちゃんは自分のやってることに気がついていなかったこと。

「オウム返し」

しおりちゃんはまず、話しかけられた言葉を繰り返してから、返事するのです。

例えば「どこに行きたい?」と聞けば、「どこに行きたい?」と自分で言い直し、「町へ。」とか答える。

その会話の仕方は、対人関係に緊張と隔たりをもたらし、ハートではなく頭でしゃべる結果になっているような気がしました。

「しおりちゃん、なぜオウム返しをするの?」

「人の言葉を、ハートで受け取ってないように感じるよ。人の言葉を言い直すことで人の気持ちを跳ね返して、意味だけを考えてるように感じるの。言葉と音をそのまま胸で受け取って、考えずに素直に出てきた言葉を話してみたら?」

しおりちゃんは、憮然として反論してきました。

「え?オウム返し?わたし そんなことしていない。」

「え?だって、いつも人の言葉をオウム返ししているよ。気がついてないの?」

「わたししてません。」

とても驚きました。

でも、すぐに、その直後に、オウム返ししたので、さすがに、しおりちゃんは気がついて、自分でびっくりしていました。

オウム返しの他に、あ~とかう~とか、声を出して、無音の時間を埋める癖もありました。それも、気になっていたので、伝えると、こちらも即座に、「そんなことはしていません。」と断言するのです。でも、たちまち会話の中で、無音を埋める音声を出しながら会話している自分に気がついてびっくりしていました。

しおりちゃんは、気がついたら、オウム返しも、あ~とか う~とかも言わなくなりました。

しおりちゃんは発達障がいではないか?と友人が言ってくれた時、発達障がいに関する様々な本を読み、その特徴の中に「オウム返し」というものがありましたが、しおりちゃんは、わたしに指摘されて、数か月で、直ってしまったのです。

オウム返しするには訳があると思うのです。

 

しおりちゃんにはこんなふうに伝えました。

「それは、きっと人の言葉を一度保留にしたかったからじゃない?ありのままに受け取って、自分の素直な気持ちを出してみたら?考えずに、自分の感じたことをそのまま伝えたら、人との壁が溶けて会話が楽しくなるよ。」と。

ありのままでしゃべるという新しい「概念」が入ったように感じました。

会話に緊張が少なくなって「オウム返し」もなくなったのです。

なぜ その行動形態が定着しているのか分かった時、別の選択も可能なのだと感じます。

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周囲に合わせるのではなく、ありのままを生きて行くことでずいぶん生きやすくなるような気がします。得意なこともあれば、苦手なこともある。その凸凹を補うには ありのままのコミュニケーションを重ねてお互いの現状を知ることかなかな?思っています。

 

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しおりが遊里庵(有里の自宅)に暮らし始めたいきさつは、こちらから読めます。

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家出を繰り返す

わたしは、今年の二月からバイトを始めることにしました。バイトが終わると、疲れてしまって帰りたくなくなり、車の中で仮眠するようになりました。

 

 この時は、バイトが終わって(夕方6時から10時までのレジ)、遊里庵にかえりたくなくて、最初は有里さんに帰りが遅くなりますって連絡して、日付がかわる直前まで車にいました。日を追うごとに帰る時間が遅くなり、車で寝て遊里庵に帰るのは朝5時とかになりました。

 

人に会うと、その反動でだれにも会いたくなくなることがあります。1人しかいない空間をすごく必要としていて、家の中に誰かの気配があることに耐えられない。だれにも話しかけてほしくない。だれにも、だれにも・・・。

 

そんな自分の思いばかりが自分の中を支配していました。

そこに、誰かが心配しているとか、この選択をしたらだれがどんな思いをするのか、そういうことは思いつきません。

 

ただただ、”一人がいい”という思いに支配されていただけです。

 

しばらく有里さんは、私が遅く帰ることに何もいいませんでした。

気づくのを待っていたのだと思います。

 

私は気づかず、繰り返しました。そして、有里さんが伝えないといけない、教えないといけない!と心が決まった時初めて、私に私が帰ってくるまで心配して起きて待っていることを携帯で連絡してきました。

 

話し合いは私が、朝帰りした五時からはじまり数時間に及びました。

私がなぜ、遊里庵にまっすぐ帰ってこないのか。帰ってこないことでなにが起きるのか、心配するってどういうことかも、自分にはわからないこと。一つずつ一つずつ確認しました。

 

有里さんが話していることは、わからないところもありました。でも、真剣に伝えていることは、わかりました。私が車で寝ると、私の体が十分休まらないこと。そして有里さんに心配をかけて有里さんも眠れず、心と体が疲れ果ててしまうこと。

私の選択は、自分の望みを叶えているようでいて、私自身も有里さんも痛めつける行為でした。

 

この会話がきっかけで、わたしはバイトの後に帰らないという選択をしなくなりました。

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人の気持ちを想像できない私は、いろんなことで回りの人を振り回してきたのではないかと思います。それを指摘する人は今までいませんでしたが、今は有里さんが何かがおかしいと感じた時、真剣に伝えてくれています。

 

しおり

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しおりちゃんが1年の予定で、農的暮らし体験のために遊里庵に暮らし始めて、家はなぜか、落ち着かない空気になりました。わたしは、自主性を重んじて、田舎暮らしの仕事をしおりちゃんが自分で選んで動き出すだろうと、待っていたのですが、(最近やっとわかったことには、)しおりちゃんは指示命令形でのみ動ける脳のスイッチがあり、指示命令がない限り、自主的には動き出すことができずにいたようでした。

 

しおりちゃんは食べることは好きだったので(笑)、わたしは、直観的に、毎日心を込めて取り立てオーガニック野菜でたっぷり料理していました。食べて気に入ってもらった料理を、手とり足取り、教えるようになって、家の雰囲気は落ち着きました。

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お料理を教えてもらい、自分で作るように促されて、しおりちゃんの活躍の場、居場所ができました。掃除洗濯など、毎日同じ仕事は言われなくても気持ちよくやってくれてありがたいです。

ところが、細かな説明なしに頼んだ仕事は、ミスが頻繁に起こりました。たとえば、封筒の差出人のスタンプを押すように頼んだ時は、薄くて読めない状態でできあがった封筒がたくさん重ねてあり、びっくりしました。読めないスタンプでは、押した意味もないと伝え、苦労してやり直しました。

ミスを平然とやってしまう理由は、その時は分からなかったけれど、やってることの意味を考えず、自動ロボットのように仕事をしてしまうからでした。

 

そのときは、わけが分からなかったけれど、手とり足取り教えないと不安で、そばにつきっきりで教えていったのです。その時は、「今どきの若者は・・・」と思ったりしていたのです。

また、暮らしのお金は、出し合って一緒に田舎暮らしをしてゆこうと思っていましたが、彼女は自分の必要なものを買うことも、生活費を入れることも頭にない感じで、8か月は、買い物はすべてわたしがして、温泉や映画や外食の代金もわたしが、支払っていました。彼女はお金は持っていたようですが、それを減らさないと決めているように感じました。

8か月して、生活にはお金がかかることを説明しないといけないと感じました。説明すると、とても驚いて信じてもらえないのです。

インターネットで検索して、ひとりの暮らしに、一番安くていくらぐらいかかるか?などの情報をググって、一緒に調べました。食費、光熱費、水道代、その他、基本的な生活にかかるお金の一部分でも、遊里庵に入れるように話しました。

誰かにずっと養ってもらい続けたら、不平不満を感じるばかりではないか?自分で生きる場所を選び、できることをやってゆけば、自信ができてどこでも生きてゆける自由が生まれる、と話しました。そのとき、親に払い続けてもらっている携帯代も自分で払うことを決めていました。

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そんなこんなで始まった 地元のスーパーのレジのバイト。バイトの面接に行けるまで、2か月かかりました。社会に出ることが、とても怖かったようです。

週に2~3日、4時間程度でしたが、バイトのあと、帰ってこない日が続きました。

しおりちゃんは、人に会うことが疲れるのだろう、処理できない情報が飽和状態になると姿を消したくなるのだろう、と察しましたが、そのたびに、疲れた体で狭い車の中 布団もなく仮眠していると思うと、わたし自身が苦しくなるのです。翌日は、しおりちゃんもわたしも、寝不足で疲れていました。自分も周囲も苦しめる行動パターンを繰り返してると感じました。

広い遊里庵は、蔵も入れたら10部屋あり、そこには長男は東京に行ってることが多くて、わたしとしおりちゃんしかいません。

わたしはしおりちゃんの邪魔をしようと思ってないし、家でお風呂に入り、布団で眠ってほしいのです。

ある日、ふっと気がつきました。もう、こんな不健全な習慣はやめてもらおうと、眠ろうとする努力をやめて、話し合うことを決意し、朝まで起きて待っていました。

「眠らずに待っている。家に帰ってきて。心配している。」と携帯でメッセージを送り続けて、朝5時、帰ってきたしおりちゃんと玄関で、話し合いました。

しおりちゃんは、「心配」の概念が理解できず、驚きました。いろんなたとえ話をして、やっと伝わりました。人は人のあたたかい想いと配慮で、危険から守られてゆくものです。

しおりちゃんが、狭い車の中、布団もかけずに苦しい想いで寝ている時、家族もまた、苦しい想いで気にかけています。

自分も周りも気持ちよく休める状況を選ぶことが、ほんとうの自由であり、「一人が一番安心」と思い込み、「反応」している自分は、過去のトラウマに囚われて、現実が見えなくなっているのではないか?と話しました。

「しおりちゃんが疲れて仕事から帰ってきたら、わたしは邪魔しないよ。お風呂に入ってお布団で眠ればいい。」

バイトが終わって疲れ果ててそのまま車で眠りたくなったら、家帰ればあたたかいお風呂と、気持ちのいいふとんのあることを思い出そう、そこへ帰って眠ろうと、あたらしいプログラムを繰り返し伝えました。

それから、しおりちゃんは、迷わずまっすぐ家に帰ってくるようになりました。

このブログを書き終えて、改めてしおりちゃんに聞きました。

「車で寝るのと、家で寝るのとどっちがいい?」

今夜のしおりちゃんはクールです。表情を変えずに、「やっぱり家ですかね?」と、

言い放つ感じで(笑)  しかし・・ほんとに良かった!

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しおりちゃんが、遊里庵(ゆうりあん・有里の自宅)にやってきた

【しおりちゃんがうちに来たいきさつを簡単に】

わたしは、長野の山里の古民家、遊里庵に暮らして11年目。2018年9月30日現在は、猫3匹と、25歳の長男と、27歳のしおりちゃんと暮らしをしています。

わたしは、土を耕し草を刈り、野菜を育てるのが大好き。そんな暮らしは30歳くらいからスタートして、もうやめられません。山から薪をいただき暖をとる自然界とつながった暮らしは、「お金」では計れない豊かさに満ちています。


 ところで、わたしの生業は、森と人をつなぐシンガーです。音楽をこよなく愛していて、みんなが自分のこころといのちを大切にして暮らせば、地球も蘇るだろう、とメッセージをうたに乗せています。

そして、しおりちゃんとの出会いは・・・

2016年、2月、九州へのコンサートツアーで、熊本でひらいた自然とつながるワークショップでした。そこには、しおりちゃんが参加していました。

しおりちゃんの最初の印象は「若いのに、表情のない真面目な子」だったのですが、

ワークショップで素足で歩くワークの感想を涙ながらに語り、記憶に残ったのです。

 

「靴は親みたいだ。守られて安心だけど、靴を履くと世界を感じられない。」

 

フェイスブックでつながり、居場所は教えながらも「家出」状態で北海道まで車で旅をしているというしおりちゃんの存在に、次男が重なりました。

 

世間知らずで繊細で優しい次男は20歳で反抗期と自立への衝動が重なり、生まれて初めて家出をしていたのです。どこで誰にお世話になっているか分からない。彼が、ゆく先々で良き出会いに恵まれますようにと祈る気持ちが、彼女の旅がいいものになりますように、という祈りにもなりました。

家出旅をしても、フェイスブック上では表情が硬いしおりちゃんにメールで、声をかけました。彼女は「自分の食べるものは自分で作る農的な暮らしをしたい。」と言っていたので、畑や薪とりなど暮らしで、自然と繋がってゆけば道がひらけてゆくのでは?と思ったのです。

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「長野を通る時に 遊里庵に寄ったら?」

しおりちゃんは、行と帰り合計4週間、遊里庵での暮らしを体験してほんとに楽しそうで溌溂としていました。その後、鹿児島に帰り、勤めるようになると硬い表情に戻ったのが気になりました。

「しおりちゃん、遊里庵で1年、土に根差した暮らしから生まれるアート体験をしてみない?」


そして、遊里庵暮らしが、今月で、1年と5か月になりました。

当初、表情が硬く、会話もオウム返しをしたり、緊張の強いしおりちゃんが なにを想いなにを怖れているのか想像はつきにくく、コミュニケーションの難しさがてんこもりな「てんやわんや」な日常が始まり、わたしも疲れ果てた時期がありました。

1年を過ぎたころ、相談した友人から「発達障害では?」という言葉がきっかけで、本を読み、自閉症スペクトラムアスペルガー)であろう。としおりちゃんと二人で確信しました。しおりちゃんは、自分のような人たちがこの世にたくさんいると知って、ほんとに安堵した様子でした。それは、わたしも同じでした。

9月になり「こころの医療センター」で診察を受けて「アスペルガーADHDの両方の症状がみられる」と診断を受けました。

わたしたちふたりの「てんやわんや」な日常は、多くの発達障害の本人と家族の日常でもあることを知りました。

コミュニケーションがとれないしおりちゃんに驚愕し、しおりちゃんを知るために話しかけ、彼女の理解できない「概念」をつかみ取り、今更ながらあの手この手で「概念」を伝えると、しおりちゃんは理解した瞬間から行動が変化し、明るくなる日常の出来事のひとつひとつが、きっと 読む皆さんの手助けにもなるであろうと確信して、この日記を始めることにした次第です。

この1年5か月 そして今もおき続けている「てんやわんや」は、人は人と共に生きてゆくには、まずはお互いをありのままに知ることがスタート地点であること、

生まれてきた喜びを感じ、ありのままで愛され 役に立つことを知ると、昨日と違う今日を生きる進化&変化が始まることを体感させてくれています。

みんな違ってみんないい。それは、お互いを知ることから始まりますね。

しおりと有里の「てんやわんや日記」にようこそ♥

有里

 

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 こんにちは、しおりと有里の「てんやわんや日記」にきてくださりありがとうございます。しおりです。

 

わたしは今、長野の有里さんの自宅(遊里庵ゆうりあん)に暮らしています。来た当初は、なにをすればいいのか、よくわからないのに、それを伝えることもできず、いらだちと緊張を感じる毎日でした。

 

1年たち、わたし自身の発達障がいがわかりました。

なぜこれまで生き辛かったのか、その理由がわかりほっとしています。人と感じ方が違うことをうっすらわかっていたのですが、どこがどういうふうにちがうのか、また違うことでおこるトラブルの対処法もわからず、同じ人間関係を長く続けることができませんでした。

 

今わたしは、有里さんの助言と、熱心なやりとりのおかげですこしずつ人の輪の中にいるには、どうしたらいいのかがわかってきたところです。

 

まだまだ、認識の違い、感覚のずれによるびっくり話は尽きませんが、一歩ずつあゆみを進めているところです。

 

その日常をこうして、公の場で共有することはわたしが今どういう状況であるのかを知ってもらうと同時に、わたしと同じように苦しみの中にいる人、そして周りで接している人の役に立つと思っています。

 

どうぞ、この日記が発達障がい当人と周りで接する家族の心の安らぎとなりますように。

 

 しおり