発達障がい てんやわんや 日記

発達障がいもちの しおり と 定型発達である 有里さんの ドタバタ日常。

違いが理解できない ◆ 伝えるべきことがわからない

ここ最近の出来事

作ったおかずの 違いが認識できない

よく作るおかずに納豆焼きというのがあって、納豆と小麦粉とだし醬油を使って作ります。

そのおかずを食べた有里さんは、いつものと違うね。と言いました。

私はその時、いつもつくっているものと違わないという感覚だったのですが、思い返すと、いつもより小麦粉がたくさん入ってしまったり(袋からドバっと落ちてしまったり)、その時たまたま残ってた山芋のすりおろしをいれて作っていました。
いつも作っているものと違うときに、その違いに気づいて、(聞かれたら)食べる人に説明しないとねと言われました。

私の中で納豆焼きに関して違いが判らなかったので頭にはてなが飛んでいると、有里さんがクッキーとホットケーキくらいちがう食べ物だよと説明してくれました。

そう言われると、いつも作っているものはカリカリに焼いてあり、今回出来上がったものはふっくらふわふわ、入っている材料は納豆がメインだけれど、違う料理のようでした。

料理する人が、違いに敏感になって気を配ることが必要で、それができて、おいしいものを毎回作れたり、信頼されることにつながるのだと教えてもらいました。

 

しおり

 

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しおりちゃんは、遊里庵に暮らし始めて2年になります。最初はお料理は、「やりたくない」「できない」「料理するのが怖い」という感じで、明らかに避けていましたが、食べるときは嬉しそうなので、彼女が来た日から、わたしは毎日、腕を振るって料理していました。

 美味しいものに敏感で毎食、嬉しそうに食べる様子を見て、お料理を作ることも好きになるだろうと確信しました。だしの取り方から、手とり足取り教えました。暮らしの場面で、楽しく自由に自分が生かされたら、それは、その人の居場所にもなってゆきます。

暮らしの中にクリエイティブな楽しみがあり、みんなに喜ばれる仕事、そこを見つけて、できるところまで伝授できるように、最初の1年は、しおりちゃんと並んで料理して、他のことも伝授しながら一緒にに取り組みました。

 

また、「美味しいと思ったら、出先でも、料理方法を聞くといいよ。」と伝えると、行く先々で料理を教えてもらい、レパートリーが増えました。わたしばかりではなく、コンサートの主催者など人の輪の中で、「料理」に関する話題が自然に交わされて、人の輪に溶け込みました。

今では、イベントやお客さんが来るときは、しおりちゃんが料理担当にまでなり、みんなが、「しおりちゃん美味しかったよ。」と口々に称賛しているのを見ると、ここまでの道のりを振り返り、その大きな変化に嬉しくなります。

そのしおりちゃんの得意料理の一つが、「納豆焼き」です。納豆に、小麦粉とだししょうゆを絡めて、ココナッツオイルでカラッと焼きます。簡単だけど、変わっていて美味しくて、しおりちゃんの定番得意料理なのです。

 

ある日、出てきたおかずが、納豆お好み焼きでした。納豆焼きとは、触感も味も全く違ってイマイチでした。「しおりちゃん、これいつもの納豆焼きじゃないよね?」と聞きました。

 

すると、しおりちゃんに反応がありません。たまーに、突然「ローギア」な感じになり、返事もせず表情も動かない時があります。不穏な感じです。

再度「しおりちゃん これいつもの違うでしょ?」と聞くと、ぼーっとした顔つきで、「いつもと同じです。」と無感情な声で言い切るのです。お客さんのお料理も任せてるので、この認識の仕方はまずいと思いました。

 

実は、昨年、宿泊型リトリートの料理を任せていたとき、料理がどんどん下手になって行ったことがありました。料理というより、素材を切って味付けせずに出してる感じで、わたしもリトリートのプログラムのナビゲートに集中していたので、気づくのが遅かったかもしれません。

最後の、スパゲティーで、これは変だ!と確信。ゆでたスパゲティーの上に 生の野菜が乗って、味もついておらず。いつもなら、たっぷりの夏野菜にニンニクや生のトマトやバジル、塩コショウに、ワインを入れて、濃厚な味に炒めたたっぷりの野菜ソースを絡めて実に美味しいのです。

いつもと別物の料理を出してることに、本人は一向に気がついてない様子に愕然として、リトリート終了した後、数日、話し合いました。

 

その時は、一緒に料理していたスタッフに無意識と同一化して、自分の料理が変ったことすら気がつかなかったことが後で分かりました。自分では全く気づいていなかったのです。

レパートリーも広がり、味付けも細やかにこだわり、美味しいものを安定して作れるまでの経験を経ても、経験値がゼロに戻るのはなぜだろう?なにが起きてるのだろう?


今回もその機会と思い、真相解明に乗り出した感じです。


「これ、料理の仕方は、違うはずだよ、いつもと どこが違うの?」としつこく聞くと、「記憶をたどってみると、小麦粉が袋からドバっと落ちた。」と感情のない語調で言います。
「え?それをなんとも思わずに、いつもと同じと思って食べてるの?」「味、全然違うよ。」

「そうですか?わたしには、分かりません。」と関心の向かないしおりちゃん。嫌がらせをしてるわけでも反発してるわけでもなさそうです。


そして、「そういえば、山芋もすりおろして入れたこと思い出しました。」と言いだしたのですが、この言葉にも感情が乗ってないのです。

 

 

これは、納豆お好み焼きであって、納豆焼きではないこと。
それは、クッキーとホットケーキのくらい違うこと

天ぷらと素揚げも違うし
カレーライス用のカレーと、カレースープも違う

 

素材が同じでも、小麦粉の量や、卵や、バターや、油を加えるかどうかで、料理の名前=共通認識が変わってくる

 

「自分がなにかを作ろうとして、違うものを作ったら認識してないと、人を不安にさせるよ。」と説明をしました。



たとえば、クッキーを注文されて、ホットケーキを出して、「これは、クッキーじゃなくてホットケーキでしょ?」と聞かれても、「いいえクッキーです。」と言い張って、「でも、思い出したら、卵と牛乳とべキングパウダーも入ってしまいました。」とか無感動に言うのは・・ちょっと・・・変じゃないの?と。

 

今回 気がついたのは、時々、しおりちゃんは目の前のことに無感動、無関心になり、意識がぼーっと停滞することがあるということ。

 

だから、納豆カリカリ揚げも、納豆お好み焼きも 同じ。小麦粉も適量「入れた」ても「ドバっと落ちた」でも どっちでもいい。当初、納豆カリカリ揚げを作るつもりだったから、ハプニングが起きて、小麦粉の量が大量になり、思い付きで、長芋を入れてお納豆お好み焼きができても、それは、やっぱり 納豆カリカリ揚げのつもり。

ということではないかな?

しおりちゃんと暮らしていると、時々、理解できないことが起こります。


なにが起きてるのだろう?と観察して、共通認識を持てるように、対話を繰り返すと、そのうち、共通認識に至る 入口が見えてきます。

今回は、クッキーとホットケーキの違いというたとえが共通認識をもたらしたと思います。また、認識力が極度に落ちる時がしおりちゃんにはあるということ、それはいったいどういう時に起きるのか、自己観察をしようと、いう話にもなりました。



わたしはシンガー(歌手)ですが、近年までコンサートツアー中に、頻繁に風邪をひき、声が出ないという恐ろしい状況を自分でコントロールできずにいました。

でも、縁あって、富士宮市にあるクリニックに行き、自分に合わない食べ物を知ることができて、それらをやめることで風邪をひかなくなりました。ツアーに出ると、食事が乱れてアレルギー反応(体の排毒作用)で風邪の症状が出ていたことが分かったのです。

また、わたしはおなかを壊しやすいと思い込んでいたのが、それも治ってしまいました。

しおりちゃんの意識が、ローになるときはなぜそれが起きるのだろうか、きっとなにかの原因があるのでは?と考えられます。

みんな凸凹でいいのですが、でも コミュニケーションがとれる範囲に心身を保つことは、自分の人生を豊かにしてくれるのでは?と思っています。

 

有里

 

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遊里庵では、有里さんのサポートクラブ「虹のうたクラブ」会員向けに、会報やお楽しみCDを年に二回制作しています。

最近は二月号の会報の作成と印刷をしていました。印刷している時に、途中で止めると、使えないページが出来てしまうことがわかりました。

そして、印刷中にチラシの試し刷りをしてほしいと言われました。私は、途中で止めるのは避けた方がいいなと思っていて、有里さんも「タイミングが悪い?」と言っていたので。今刷ることできないんだってことを有里さんが理解しているんだって思ってしまいました。

そうですね、と言い。髪が濡れているのに気をとられた私は、「髪を乾かしてきます。」と、その場を離れると、有里さんから話を途中で終わらせないでと説明が入りました。
「タイミングが悪い?」と聞いた後の返事を私から聞いていない事。もしできないなら、いつならできるのか待っている人に伝える事。


説明しないと、人を無意味に待たせることになる。

話を途中で終わらせることをしないでほしい。

私しか知らない事(この場合は、印刷を中断して別の印刷をすることができないこと)を黙っていたら、周りの人は困る。


私がうまく理解できていない時は、すごくわかりやすいらしくて、有里さんは私がわかるようにたとえ話をいくつか出してくれる。
伝えてるのは、簡単なことなんだよって有里さんは説明してくれて、ちょっとずつわかってきたような気がします。

話が途中なのか終わっているのかわからない事。自分の中で理解していることは、他人もわかっているだろうと思い込んでしまうこととか。そんな私がいるんだなってわかりました。

自己完結してしまうと円滑なコミュニケーションができないと教わったので、自分の知っていることを必要な人に伝えられるようにしていきたいです。

しおり

 

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遊里庵でいろんな体験を積み重ねて、いろんな役割を担えるようになってきたしおりちゃんですが、自分から周囲を調整するために、必要な情報を認識して、伝達するというカテゴリーが抜けているようでした。

知らずに人を待たせていたり、伝えるべきことを伝えていなかったり、進行途中のプロジェクトを忘れてほってあったり。誰かが、しおりちゃんの分まで情報を把握、調整する人がそばにいて、細かくしおりちゃんに「今やるべきこと」を、指示すれば有効な動きはできるし、集中力も抜群なのですが。

こちらが状況把握して指示しないと、びっくりするような状況に巻き込まれることが生じました。

たとえば、しおりちゃんが自分で強く言い出して開催することになったイベントがありました。集客することを思いつかず、申し込みがゼロだったことを、わたしは気づかず、当日準備をせっせとお手伝いしていました。

しおりちゃんと二人で、お掃除、買い物、食事やお茶の準備、コンサートの準備、リハーサル、受付の準備など、時間との競争でせっせと進めました。誰も来ないのであれば、やる必要のないこと。わたしは、誰も来ないとは、予想だにせず しおりちゃんの企画のサポートに専念。

誰も来ないので、なにが起きたのかと思い、しおりちゃんに聞いたのです。

「申し込みは何人なの?」

「申し込み??申し込みは なかったと思います。」と無感情な声で 言ったのです。


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「今、印刷して見せてくれない?」と印刷物の確認を求められた時、

「今 印刷はできないんです。明日ならできます。」と、状況を伝えてくれれば、わたしは印刷機の横で待たずに、自分の部屋で別の仕事をします。

会話が途中であることに気がつかず、待ってることに気がつかないのは なぜだろう?

しおりちゃんが主体者で、しおりちゃんしか知らないことがあることを伝えてみました。

一人の個体として、この地球に生まれてきていること、自分を認めること、わかる範囲でいいから怖いかも知れないけれど、主体者としての自分を受け入れること。


いろんな立場を経験してみると、ポジションによって、やるべきことが違い、自転車を乗りこなすように、転ばない感覚(状況把握)が少しづつ分かって来るのでは?と思っています。

しおりちゃんの特徴は、一点集中型。でも、全体像を把握することもゆっくりと覚えてゆけば、コミュニケーションが滞りなくなり、人生が豊かになるのでは?と思います。

そういう意味では、
発達障がいも定型も、みんな凸凹ですよね。凸凹をどう生かすか 学び 人生の真の目的まで 歩みを進める 学びの途上にあると言えると思うのです。

 

有里

 

 

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しおりが遊里庵(有里の自宅)に暮らし始めたいきさつは、こちらから読めます

しおりちゃんが、遊里庵(ゆうりあん・有里の自宅)にやってきた - 発達障がい てんやわんや 日記

 

 

 

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