適量 中間 という概念(2018.11)
適量中間と適量がわからない。
11月6日、薪ストーブの上で大豆を煮てねって有里さんから言われたのだけれど、私は大豆一袋(1㎏)全て煮ますか?って聞きました。
私の中で、どのくらいの量が適切なのか、判断がつかないので、有里さんに聞いたのですが、すっごくびっくりされました。
1㎏の豆を煮るってみそを作るくらいの量だよ。しばらく食べ続けないといけない量になるよ。と言って、具体的に1カップ半計ってくれて、今回は作ることになりました。
そして、同日賞味期限が近いから使ってと言われていた、鶏肉と魚。私の記憶から、すっかり消えていて、夕飯に使い忘れていました。
そして、別の材料で作った夕飯。それを見た有里さんから、こっちを先に使ってって伝えたよね?と言われました。
言われて、私は今日の晩御飯につかわないといけないんだ!という思考になり、から揚げや焼き魚を作り始めてしまいました。もうすでに晩御飯に、十分なおかずがそろっているにも関わらず・・・。
その行動に気づいた有里さんからストップがかかり、使ってといったけれど今日作ってほしいといったわけではないこと。自分たちが食べきれる量以上のものを作ることは、食材を大切にしてないことなんだよ。
飽食に慣れすぎて、食料を大切にするということが理解できていないことがわかりました。
しおり
てんやわんや日記、だいぶ間が空いてしまいました。
これは、しおりちゃんが、1年くらい前に書いた下書きで、これ以外にもふたつしおりちゃんは、書いています。
わたしの方が自伝を書いていたり、いろいろと時間に追われて、しおりちゃんのスピードに対応できなくなっていました。しおりちゃんは書くのがとても速いのです。
また少しづつアップしてゆきますね。しおりちゃんの近況報告、お知らせすることがあります。
******
さて、この手の、びっくりは、毎日、何回も起きています。
わたし的に解析すると、しおりちゃんは、なにかを実行する前に、自分の頭で想像して調整するプロセスを飛ばしているから、びっくりするようなことになってしまうのだろうと思います。
大豆1キロは、煮豆で食べるとしたらたいへんな量になりますよね。煮豆になったらどのくらいの量になるかな?と想像するプロセスをすっ飛ばし、なにも言わなければ なにも考えずに、全部ゆでてしまう。
シソジュースを作ってもらった時に、塩辛かったので、どうして?と聞いたら、梅干し用の塩づけされた赤シソが目の前にあったから、同じシソだから入れたとのこと。
そんな時は、「それがどうしましたか?」という雰囲気で、こちらが圧倒されます。 そこから対話が始まります。
わたしも相手の行動に想像力を働かせます。
目の前に塩づけシソが見えたら、同じシソだから入れてしまった。
他の材料は、クックパットの説明通りに作っている。
塩が入ったらどうなるんだろうと、入れる前にイメージしてするプロセスが抜けている。
シソジュースと一緒に、お好みでどうぞ、と、小皿で塩を添えて出されたら、塩を入れるか?と、聞いてみました。
辛くなるから入れないという返事でした。
自分の飲み物と考えた場合は、塩は入れない。
2リットルもの塩入シソジュースができてしまったことにがっかりしているのは、わたしだけなので、それにがっかりしていることを根気よく伝えます。一歩一歩です。
冷蔵庫の中の賞味期限の近づいたものから料理することも、しおりちゃんにはなかなかむつかしい。生活にはたくさんの要素があるので、いろんなことが抜け落ちないように、彼女なりにメモをする習慣ができました。
一番、間違えがないのが、その都度、指示を詳細に伝え、メモしてもらうというやり方ですが、
自分の頭でもイメージして 調整するというプロセスをやれるようになるように、毎日 根気よく対話が続きます。
*****
さて、近いうちに近況報告があると思いますが、しおりちゃんは病院で 障がいの判定を受けて、手帳が交付されたので、福祉のサポートを受けられるようになりました。
生活についての学びを、福祉のサポートとして、受講することが可能になり、援助の手が増えて、肩の荷が下りた実感があります。
わたしたちは、いろんなことを誰かから説明されなくても想像力を働かせて、習得したことが多いのだと思います。
しおりちゃんの場合、学んでないことは分からない、想像できない、という特徴があるように思います。
一つ一つを体得するのに、すべてを言語化して、伝えられることが 学びの手がかりになるように感じています。
マンツーマンでは時間的、体力的にも厳しいので、教えてくださる方が複数いることが ほんとうに大切なことだと感じます。
有里
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自分の機嫌は自分でとろう♪
ある日のこと
有里さんの新CD「とうめいな音」の裏ジャケットの撮影のために、いつも散歩に行く、神社の参道へ行きました。
私はカメラマン。元々、使おうと有里さんが選んでいた写真があったので、その構図と同じものを撮ればいいのかな~と漠然と考えていました。
でも、そこはアーティストの世界。たくさんの人に届くものを作るには、私は受け身過ぎました。そして、「不機嫌」が私の生き方にはベースとして流れているのでは?と有里さんが分析。
有里さんがその時、フェイスブックにあげた記事を紹介します。
しおり
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自分の機嫌は自分でとろう♪
~朝からご機嫌でもいいんじゃない?~
ずっと薄々気がついてたのだけど、
「機嫌が悪い」ことが日常化している人が意外と多い。
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森で、裏ジャケットの写真撮影のさなか。
つまらなそうに、探求心より、撮らされてる感に満たされて(笑) そこに立っていることが伝わってくるので
「なぜ、機嫌が良くないことを選択しているの?」
と、カメラマンのしおりちゃんに質問をした。
言葉では真意が伝わらない。
彼女が楽しくなるように、木の下で カメラを向けられた状態で、
わたしはジャンプ!ジャンプ!!と飛んでみた。
踊って うたって・・冗談みたいに・・・ラララララ~♪とくるくる回った。
しおりちゃんは、高らかに笑って アハハハハ~と明るいわらい声が森に響いた。
水色、ピンク、きれいな色の交った不思議な光の差し込んで 、なんだか素敵な写真が撮れたの。
この写真は CDの裏ジャケットに決定!
機嫌が直れば、世界を照らすのはあなたとわたし。
まっ、しおりちゃんが晴れ晴れしてなかったので、わたしが踊って歌って、みんなのご機嫌が良くなって、森のご機嫌もよくなって、結果オーライだったのだだけど。
*****
それで、ここ数日、
「今は なぜ 機嫌が悪いの?なぜ、つまらないって感覚を選択してるの?」
と、不思議に思う場面をたくさん発見した。
しおりちゃんの不機嫌にこの2年で、慣れ親しんでいたんだけど、新たな目で見るようになった。
たとえば・・・
任されて創意工夫して作り上げたチラシのデザインを、印刷会社に入稿せず、放置してあるのを見つけてしまい、「印刷して、主催者に送る」という手順を、改めて説明した時、楽しくない空気が押し寄せて来たんだけどね・・(笑)
そのとき、リアクションは様々だよねと思った。楽しくない重い空気は、しおりちゃんの選択であって、あなたなら、どのリアクションをするだろうか?
★危うく忘れるところを 間に合うように言ってもらってありがとう!と思うか
★言われて嫌だな~~と思うか
★「自分のチラシ作品を、発注して、みんなに手渡してもらえる」という期待、たのしいイベントを作るうれしさ&ワクワクを選択するか?
★印刷発注を「めんどくさいことやるの?」と思うのか
それは、一人ひとりの自由、嗜好なのだ。
さて、生きる上でのベーシックな反応は、人それぞれだけど、それは、どこから来るのだろう?
****
今朝、しおりちゃんが
「朝から元気でもいいんじゃない?」って声が響いている。と言って来た。
彼女が言うには、
朝は不機嫌なのが当たり前、眠いし、起きたくないし、つまらない一日が始まるって、すべてめんどくさいと思う、昔からの習慣、長年の思い込みが いまだに沁みついていた・・と。
でも実際は、毎日が新しい 始まり。
自分の機嫌は自分でとる。
自分の機嫌の取り方を 研究してみよう
いろんなやり方あるかも。
居心地のよい場所 たくさん生まれるかも。
有里さん
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違いが理解できない ◆ 伝えるべきことがわからない
ここ最近の出来事
作ったおかずの 違いが認識できない
よく作るおかずに納豆焼きというのがあって、納豆と小麦粉とだし醬油を使って作ります。
そのおかずを食べた有里さんは、いつものと違うね。と言いました。
私はその時、いつもつくっているものと違わないという感覚だったのですが、思い返すと、いつもより小麦粉がたくさん入ってしまったり(袋からドバっと落ちてしまったり)、その時たまたま残ってた山芋のすりおろしをいれて作っていました。
いつも作っているものと違うときに、その違いに気づいて、(聞かれたら)食べる人に説明しないとねと言われました。
私の中で納豆焼きに関して違いが判らなかったので頭にはてなが飛んでいると、有里さんがクッキーとホットケーキくらいちがう食べ物だよと説明してくれました。
そう言われると、いつも作っているものはカリカリに焼いてあり、今回出来上がったものはふっくらふわふわ、入っている材料は納豆がメインだけれど、違う料理のようでした。
料理する人が、違いに敏感になって気を配ることが必要で、それができて、おいしいものを毎回作れたり、信頼されることにつながるのだと教えてもらいました。
しおり
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しおりちゃんは、遊里庵に暮らし始めて2年になります。最初はお料理は、「やりたくない」「できない」「料理するのが怖い」という感じで、明らかに避けていましたが、食べるときは嬉しそうなので、彼女が来た日から、わたしは毎日、腕を振るって料理していました。
美味しいものに敏感で毎食、嬉しそうに食べる様子を見て、お料理を作ることも好きになるだろうと確信しました。だしの取り方から、手とり足取り教えました。暮らしの場面で、楽しく自由に自分が生かされたら、それは、その人の居場所にもなってゆきます。
暮らしの中にクリエイティブな楽しみがあり、みんなに喜ばれる仕事、そこを見つけて、できるところまで伝授できるように、最初の1年は、しおりちゃんと並んで料理して、他のことも伝授しながら一緒にに取り組みました。
また、「美味しいと思ったら、出先でも、料理方法を聞くといいよ。」と伝えると、行く先々で料理を教えてもらい、レパートリーが増えました。わたしばかりではなく、コンサートの主催者など人の輪の中で、「料理」に関する話題が自然に交わされて、人の輪に溶け込みました。
今では、イベントやお客さんが来るときは、しおりちゃんが料理担当にまでなり、みんなが、「しおりちゃん美味しかったよ。」と口々に称賛しているのを見ると、ここまでの道のりを振り返り、その大きな変化に嬉しくなります。
そのしおりちゃんの得意料理の一つが、「納豆焼き」です。納豆に、小麦粉とだししょうゆを絡めて、ココナッツオイルでカラッと焼きます。簡単だけど、変わっていて美味しくて、しおりちゃんの定番得意料理なのです。
ある日、出てきたおかずが、納豆お好み焼きでした。納豆焼きとは、触感も味も全く違ってイマイチでした。「しおりちゃん、これいつもの納豆焼きじゃないよね?」と聞きました。
すると、しおりちゃんに反応がありません。たまーに、突然「ローギア」な感じになり、返事もせず表情も動かない時があります。不穏な感じです。
再度「しおりちゃん これいつもの違うでしょ?」と聞くと、ぼーっとした顔つきで、「いつもと同じです。」と無感情な声で言い切るのです。お客さんのお料理も任せてるので、この認識の仕方はまずいと思いました。
実は、昨年、宿泊型リトリートの料理を任せていたとき、料理がどんどん下手になって行ったことがありました。料理というより、素材を切って味付けせずに出してる感じで、わたしもリトリートのプログラムのナビゲートに集中していたので、気づくのが遅かったかもしれません。
最後の、スパゲティーで、これは変だ!と確信。ゆでたスパゲティーの上に 生の野菜が乗って、味もついておらず。いつもなら、たっぷりの夏野菜にニンニクや生のトマトやバジル、塩コショウに、ワインを入れて、濃厚な味に炒めたたっぷりの野菜ソースを絡めて実に美味しいのです。
いつもと別物の料理を出してることに、本人は一向に気がついてない様子に愕然として、リトリート終了した後、数日、話し合いました。
その時は、一緒に料理していたスタッフに無意識と同一化して、自分の料理が変ったことすら気がつかなかったことが後で分かりました。自分では全く気づいていなかったのです。
レパートリーも広がり、味付けも細やかにこだわり、美味しいものを安定して作れるまでの経験を経ても、経験値がゼロに戻るのはなぜだろう?なにが起きてるのだろう?
今回もその機会と思い、真相解明に乗り出した感じです。
「これ、料理の仕方は、違うはずだよ、いつもと どこが違うの?」としつこく聞くと、「記憶をたどってみると、小麦粉が袋からドバっと落ちた。」と感情のない語調で言います。
「え?それをなんとも思わずに、いつもと同じと思って食べてるの?」「味、全然違うよ。」
「そうですか?わたしには、分かりません。」と関心の向かないしおりちゃん。嫌がらせをしてるわけでも反発してるわけでもなさそうです。
そして、「そういえば、山芋もすりおろして入れたこと思い出しました。」と言いだしたのですが、この言葉にも感情が乗ってないのです。
これは、納豆お好み焼きであって、納豆焼きではないこと。
それは、クッキーとホットケーキのくらい違うこと
天ぷらと素揚げも違うし
カレーライス用のカレーと、カレースープも違う
素材が同じでも、小麦粉の量や、卵や、バターや、油を加えるかどうかで、料理の名前=共通認識が変わってくる
「自分がなにかを作ろうとして、違うものを作ったら認識してないと、人を不安にさせるよ。」と説明をしました。
たとえば、クッキーを注文されて、ホットケーキを出して、「これは、クッキーじゃなくてホットケーキでしょ?」と聞かれても、「いいえクッキーです。」と言い張って、「でも、思い出したら、卵と牛乳とべキングパウダーも入ってしまいました。」とか無感動に言うのは・・ちょっと・・・変じゃないの?と。
今回 気がついたのは、時々、しおりちゃんは目の前のことに無感動、無関心になり、意識がぼーっと停滞することがあるということ。
だから、納豆カリカリ揚げも、納豆お好み焼きも 同じ。小麦粉も適量「入れた」ても「ドバっと落ちた」でも どっちでもいい。当初、納豆カリカリ揚げを作るつもりだったから、ハプニングが起きて、小麦粉の量が大量になり、思い付きで、長芋を入れてお納豆お好み焼きができても、それは、やっぱり 納豆カリカリ揚げのつもり。
ということではないかな?
しおりちゃんと暮らしていると、時々、理解できないことが起こります。
なにが起きてるのだろう?と観察して、共通認識を持てるように、対話を繰り返すと、そのうち、共通認識に至る 入口が見えてきます。
今回は、クッキーとホットケーキの違いというたとえが共通認識をもたらしたと思います。また、認識力が極度に落ちる時がしおりちゃんにはあるということ、それはいったいどういう時に起きるのか、自己観察をしようと、いう話にもなりました。
わたしはシンガー(歌手)ですが、近年までコンサートツアー中に、頻繁に風邪をひき、声が出ないという恐ろしい状況を自分でコントロールできずにいました。
でも、縁あって、富士宮市にあるクリニックに行き、自分に合わない食べ物を知ることができて、それらをやめることで風邪をひかなくなりました。ツアーに出ると、食事が乱れてアレルギー反応(体の排毒作用)で風邪の症状が出ていたことが分かったのです。
また、わたしはおなかを壊しやすいと思い込んでいたのが、それも治ってしまいました。
しおりちゃんの意識が、ローになるときはなぜそれが起きるのだろうか、きっとなにかの原因があるのでは?と考えられます。
みんな凸凹でいいのですが、でも コミュニケーションがとれる範囲に心身を保つことは、自分の人生を豊かにしてくれるのでは?と思っています。
有里
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遊里庵では、有里さんのサポートクラブ「虹のうたクラブ」会員向けに、会報やお楽しみCDを年に二回制作しています。
最近は二月号の会報の作成と印刷をしていました。印刷している時に、途中で止めると、使えないページが出来てしまうことがわかりました。
そして、印刷中にチラシの試し刷りをしてほしいと言われました。私は、途中で止めるのは避けた方がいいなと思っていて、有里さんも「タイミングが悪い?」と言っていたので。今刷ることできないんだってことを有里さんが理解しているんだって思ってしまいました。
そうですね、と言い。髪が濡れているのに気をとられた私は、「髪を乾かしてきます。」と、その場を離れると、有里さんから話を途中で終わらせないでと説明が入りました。
「タイミングが悪い?」と聞いた後の返事を私から聞いていない事。もしできないなら、いつならできるのか待っている人に伝える事。
説明しないと、人を無意味に待たせることになる。
話を途中で終わらせることをしないでほしい。
私しか知らない事(この場合は、印刷を中断して別の印刷をすることができないこと)を黙っていたら、周りの人は困る。
私がうまく理解できていない時は、すごくわかりやすいらしくて、有里さんは私がわかるようにたとえ話をいくつか出してくれる。
伝えてるのは、簡単なことなんだよって有里さんは説明してくれて、ちょっとずつわかってきたような気がします。
話が途中なのか終わっているのかわからない事。自分の中で理解していることは、他人もわかっているだろうと思い込んでしまうこととか。そんな私がいるんだなってわかりました。
自己完結してしまうと円滑なコミュニケーションができないと教わったので、自分の知っていることを必要な人に伝えられるようにしていきたいです。
しおり
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遊里庵でいろんな体験を積み重ねて、いろんな役割を担えるようになってきたしおりちゃんですが、自分から周囲を調整するために、必要な情報を認識して、伝達するというカテゴリーが抜けているようでした。
知らずに人を待たせていたり、伝えるべきことを伝えていなかったり、進行途中のプロジェクトを忘れてほってあったり。誰かが、しおりちゃんの分まで情報を把握、調整する人がそばにいて、細かくしおりちゃんに「今やるべきこと」を、指示すれば有効な動きはできるし、集中力も抜群なのですが。
こちらが状況把握して指示しないと、びっくりするような状況に巻き込まれることが生じました。
たとえば、しおりちゃんが自分で強く言い出して開催することになったイベントがありました。集客することを思いつかず、申し込みがゼロだったことを、わたしは気づかず、当日準備をせっせとお手伝いしていました。
しおりちゃんと二人で、お掃除、買い物、食事やお茶の準備、コンサートの準備、リハーサル、受付の準備など、時間との競争でせっせと進めました。誰も来ないのであれば、やる必要のないこと。わたしは、誰も来ないとは、予想だにせず しおりちゃんの企画のサポートに専念。
誰も来ないので、なにが起きたのかと思い、しおりちゃんに聞いたのです。
「申し込みは何人なの?」
「申し込み??申し込みは なかったと思います。」と無感情な声で 言ったのです。
*******
「今、印刷して見せてくれない?」と印刷物の確認を求められた時、
「今 印刷はできないんです。明日ならできます。」と、状況を伝えてくれれば、わたしは印刷機の横で待たずに、自分の部屋で別の仕事をします。
会話が途中であることに気がつかず、待ってることに気がつかないのは なぜだろう?
しおりちゃんが主体者で、しおりちゃんしか知らないことがあることを伝えてみました。
一人の個体として、この地球に生まれてきていること、自分を認めること、わかる範囲でいいから怖いかも知れないけれど、主体者としての自分を受け入れること。
いろんな立場を経験してみると、ポジションによって、やるべきことが違い、自転車を乗りこなすように、転ばない感覚(状況把握)が少しづつ分かって来るのでは?と思っています。
しおりちゃんの特徴は、一点集中型。でも、全体像を把握することもゆっくりと覚えてゆけば、コミュニケーションが滞りなくなり、人生が豊かになるのでは?と思います。
そういう意味では、
発達障がいも定型も、みんな凸凹ですよね。凸凹をどう生かすか 学び 人生の真の目的まで 歩みを進める 学びの途上にあると言えると思うのです。
有里
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猪突猛進
今年の5月、マグラブという、フリーエネルギー装置(無から有をつくるのではなく、省電力装置です)をつくるワークショップに参加しました。
マグラブの存在は2.3年前に知って、なんか面白そうなものがあるなぁって思ってました。実家にいたときに、材料とか、買っていたんだけれど、なかなかコイル状に巻くのが難しくて、放置中でした。(マグラブについて、詳しいことはこちらから、
ケシュ財団 装置は本物だった?MAGRAV(マグラブ)の作り方について | 黄金の金玉を知らないか?)
そんな時、マグラブを制作するワークショップを紹介してもらい、作成しました。ワークショップの参加費は、私にとって、高額だったので、援助を有里さんにお願いしました。その時もマグラブについて、有里さんが納得できるような説明ができずに、でも熱意だけはあったので有里さんにお願いしました。
マグラブはコンセントと冷蔵庫の間につなげることが推奨されていました。なので、遊里庵の冷蔵庫につなごう!と考えました。
そして、冷蔵庫につなげようとしたのですが、私のなかで、冷蔵庫の位置とコンセントの位置が悪いと思ったり、延長コードをかませたら通電しなくなると思い込んでしまって、コンセントとマグラブと、冷蔵庫がそのままつながる位置に冷蔵庫を移動させよう!と行動を開始してしまいました。
その時、夜中の10時。有里さんに冷蔵庫を動かして、マグラブをつなげていいですか?と聞いて開始。
冷蔵庫は、一人では動かせなかったので、有里さんに手伝ってもらい、冷蔵庫をうごかして、マグラブをつなげて、部屋を見まわしました。
動かした冷蔵庫は、部屋のなかで存在感を主張し、くつろげる部屋というよりは冷蔵庫が主役の部屋のように・・・。
圧迫感があって、私がイメージしていたものとは、違うものになりました。有里さんからも、これは、ちょっと・・・ということで、もとの場所に戻すことに。
私は、”こう”と思い込むと、後先考えずに行動し始めてしまいます。
動かしたらどうなるか?延長コードで通電しなかったのは、コードの問題で別のコードで試してみる、などそういうアイディアが思いつかないのです。
元に戻す時間もふくめると4~5時間ほどかかって、元に位置でマグラブをつなげることになりました。
もし、考えることができてたら。その時間を有里さんや私はもっとクリエイティブなことに使えていたかもしれません。
私は人に協力してもらう、ということがその人の時間をもらっているということであることに気づかず。
今までいろんな人の時間を無意識にもらってきたんだなぁと思いました。
しおり
*******
しおりちゃんが遊里庵に暮らし始めて1年くらいたった頃だろうか?
いつになく熱心に 頼みごとをしてきた。
「有里さん、出たいワークショップがあるんですが、参加費を援助してほしいんです!」
ちょっと、びっくりした。
わたしは、しおりちゃんに畑のある手作りの暮らしを体験することを勧めた。必要なことは教えサポートしていたが、彼女を養う意図はなかった。
遊里庵で暮らしの仕事を分かち合い、それぞれに自分の仕事もして、必要な経済は持ち寄れば、少ない経済で田舎暮らしを営める。フルタイムで働かなくても大丈夫。スローライフのチャンスをプレゼントしたつもりだった。
8か月は、暮らしを手とり足取り教え、経済については、彼女からアクションを待ったがなにもなかったので、しょうがないなぁと思いつつ、わたしが担っていた。
でも、今後のことも考え、生活にはお金がかかることを説明し、わたしや親に依存するのでは自由は得られないことを伝え、食費程度のお金を遊里庵に入れ始めたばかりの頃だった。
******
彼女が決めたバイトは週に数日で数時間だったので、彼女の払えるお金は少し。 わたしは彼女に料理や音楽、様々なことを丁寧に教え、暮らしの面倒も見て、さらにお金の援助を求められて、しおりちゃんの感覚を疑った。
「いくらなの?」とびっくりして聞くと、勢いよく返事が返ってきた。
「4万8⃣千円!」
「お金もないのに、そんな高いワークショップに出るの?」
「はい!どうしても出たいんです!」
「暮らしのハウツーを手とり足取り教えて、生活のお世話をして、さらにおこずかいまで渡すわけにはいかないの。エネルギーを与えるばかりじゃ循環していかないの。どうしても参加したいならお金を貸すけど、あげられない。わたしもお金に余裕がわるわけではないの。よく考えてみて。」
しおりちゃんの意志は変わらず、わたしからお金を借りて、ワークショップを受けた。
そしてある日の夜中、
「有里さん、冷蔵庫を動かしていいですか?」と聞いてきた。
遊里庵では、いろんな方が来ては家具の置き場所を、使いやすく素敵なレイアウトに動かすことが多かった。わたしは、遊里庵に寝泊まりするみんなのアイデアを信頼していた。家具を動かすのはオッケー。
「いいアイデアが浮かんだんだね。いいよ。」
夜中に、しおりちゃんはふたつ並んでいる冷蔵庫を一人で動かし始めた。
わたしは自分の仕事をやめて、しおりちゃんを手伝わざるえなくなった。
そして唖然とした。冷蔵庫は薪ストーブのある横長の部屋の真ん中、台所の入口のところに出っ張って二つ置かれて、まったく落ち着かない部屋になっていた。
部屋が台無しになってることは一目瞭然。
「なぜ、ここに冷蔵庫を置くの?部屋が台無しになってるんだけど。」
「冷蔵庫をコンセントの差込口の側に置きたかったから。」
「なぜ、冷蔵庫を差込口の側に置く必要があるの?」
「マグラグを冷蔵庫のコンセントとの間に入れたいから。」
???
「延長コードがあるんだから、冷蔵庫はどこにおいても関係ないんじゃないの?
「延長コードをつかったら通電しなかったんです。」
「電化製品なんだから、通電しないわけないでしょ。。やってみせようか?」
延長コードを使ってみると、通電しました。
それから、また二人で二つの冷蔵庫を動かし、元に戻しました。
終わったときは、
夜中の2時を過ぎていました。
その後、発達障がいとわかり、読んだアスペルガーの本の症状の中に、
思いついたら、やりたい気持ちに支配されて、強引に進めるという症状が書かれていました。まさに、そのとうり。
しおりちゃんは、夜中に3~4時間を無意味に仕事をしてしまっても、やりたいことをやりきって、気が済み、後悔もしないようですが、つきあってしまった側は、心底がっかりして疲れてしまいました。
みなさんの自由な発案を全面的に受け入れてきたわたしですが、しおりちゃんに関しては、全体像を把握できていないので、肝に銘じて、なにをどのようにしたいのか?なんのためにやるのか?提案段階で、対話し、熟慮して対応したいな~と今は思っております。
*******
こうした出来事が起きた後は、しおりちゃんに起きた出来事を理解し、次回は違った選択が可能になるように、数日かけて根気よく対話してきました。
冷蔵庫を動かして、元へ戻したことについて どう思うかしおりちゃんに、聞きました。わたしは、しおりちゃんに振り回されて4-5時間もロスしたことにがっかりしていましたが、しおりちゃんは、謝ることもなく、ケロッとしていたのです。
しおりちゃんの答は、「やりたいことをやったから、満足している。」でした。
それで、「それにつきあわされたわたしは、この時間があれば 他のことができたし、しおりちゃんにふりまわされた自分にすごくがっかりしている。しおりちゃんは、それについては、どう思う?」と聞きました。
すると、「有里さん、さっき、『たまに冷蔵庫動かすと、お掃除ができるからよかった。』って言ってましたよね。よかったんじゃなかったんですか?」と言うのです。
「しおりちゃん、それは、夜中に冷蔵庫を動かすことは普通は起きないことだから、自分としおりちゃんを励ますために言った言葉だよ。それで、結果が良くなったなら納得できたけど、動かさなくてもいいものを動かして、元に戻すことになって時間だけロスしたと感じ、がっかりしたんだよ。
それぞれに、やることがたくさんあることを理解して、人を巻き込む時には、事前によく考えてほしいな。人の時間をとってしまうことになるよ。」
「わたし、有里さんの時間をとってしまったんですね。」しおりちゃんは、初めて申し訳ないという顔になった。
「わたし、今までもよく考えないで、人の時間をとってきたことたくさんあると思います。有里さんごめんなさい。」
*******
また、しばらくして、お金を返すためには、バイトの時間を増やさないと返せないことを教えないといけないことに気がついた。しおりちゃんは、お金を返すのに計画が必要だと気がついていないようだった。
1か月に5千円づつ返すとしたら、バイトを何日増やしたらいいのか?何か月で返せるか?一緒に計算した。返し終わるまでは、わたしからお金を借りないことも約束してもらった。
しおりちゃんのそのころのバイトは1か月3万円くらいだったと思う。一日4時間を3日に1回くらいのペースくらい。朝 ゆっくり起きて、掃除と洗濯と料理ををし、庭でゆっくりごはんを食べて、畑と散歩に行って音楽をする暮らしが、人より恵まれていることに、彼女は気がついていなかったと思う。
少しづつ、やれることを増やし、やり切り、「生きる」ことが見えてくるように、教えて行った。自分では解決策を考えつかない、計画できないらしいと、見ているとだんだん分かってきた。
発達障がいと分かった時、本には、その傾向が書いてあり、やっぱり!そうだったか!と二人で安堵したものです。
しおりちゃん曰く、「自分では新しい行動は考え付かない。みようみまねもできない。インストール(教えてもらう)されないとできないが、インストールされたことは、できるようになる。」
そして、熱量(愛)を持って真剣に伝えられたことからは、情報以上のなにかを受け取っていることも感じている。
しおりちゃんが柔らかくなり、無邪気に、心から笑うようになったから。
有里
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高速道路 あわや 危機一髪
2017年7月 私は、有里さんの車を運転していました。
有里さんは、コンサートツアー最終日の帰り道でお疲れモード。しおりちゃん、運転頼むねと助手席でお休みしていました。
私は、高速道路を運転しながら、車の速度があがらないなぁと思っていました。でもその時、高速道路では50キロで、走行するように標識が出ていて、これでいいんだと思いながら走っていました。
下り坂では、速度が出るのに、上り坂では速度がでない。
私は、パーキングエリアで休んで車の調子を見るとか、有里さんを起こして不調を伝えるということを思いつきませんでした。
その時は、有里さんが休んでいる間に駒ケ根まで帰ること、そのことだけに頭がいっていました。
有里さんが起きて、しおりちゃん、回りの車にすごい勢いで抜かされてるよ。もっとスピードあがらないかな?と言われました。私は、アクセルを踏んでもスピードが出ないことを伝えました。
私は、アクセルを踏んでもスピードがでないことを変だと思っていませんでした。
文字で書いていると、とてもおかしなことだと気づけますが、運転している最中はそれがおかしいことだと思えなかったのです。
えー、なんでだろう。でも、動く限りは駒ケ根に近づかないとと思っていたような気がします。
アクセルを、踏んでもスピードがでない。それを聞いた有里さんは、トンネルに入る前の駐車場に入るように指示を出しました。
そこで、有里さんと運転を交代。
そのトンネルは、恵那山トンネル。日本でも10指に入る長大トンネルです。
トンネルに入ると、反響音でエンジンの調子がおかしい。
ハザードランプをつけながら、何キロ走ったでしょうか。後ろから二台のトラックが並んで走ってきたそうです。
(私は後ろではなく、前ばかり見ていました。コンサートで出会った人と話した、死ぬときはああ、幸せだったって思って死にたいと話したことを回想していました。今思うと走馬燈のようなものだったのかもしれません。)
有里さんから、しおりちゃん念仏!と叫ぶように指示され、二人で大きな声で念仏を唱えました。自分たちの力ではどうにもしようがないとき、残された道は神頼みでした。
こちらの速度は50キロもなかったと思います。トラックは追い越し車線をつかって追い越していってくれました。
そして、とうとうアクセルが効かなくなり、トンネルの中にある緊急停車帯の手前。車一台ぶんの駐車スペースに滑り込みました。
車を停めると、フロントから白煙がのぼりこれはあぶないと二人で車から脱出。
トンネル内の非常用電話でこの事態を、説明して、トンネルの中で待機。
二人で念仏を唱えました。
そうすると、だんだん夏の暑くて、排気ガスが充満するとても環境の悪いトンネルの中で幸せな気分に。
1~2時間後、高速道路のパトロールがきて、レッカー車も来ました。
レッカー車では、とてもやさしいおじさんがきてくれて、車の修理工場を一緒に探してくれることに。この時、有里さんは、今日遊里庵に帰れたら奇跡だと思ってたと教えてくれました。
なんとか、有里さんが昔お世話になっていた、工場が電話に出てくれて、そこに預けることになりました。
到着時刻は、そのお店が閉店した後の時間だったのですが、工場長が待っていてくれることになりました。さらに、機材を工場長の車に乗せて遊里庵に帰ることができました。
私は、何が危険なのかも、分かりませんでした。高速道路で50キロで走ることがどういうことなのかも、もし事故になっていたら、私たち二人が死ぬだけでなく後ろの車も巻き込んで大事故になっていた可能性があること。
最後は、見えない存在に生かされて今私たちは生きています。
おかしいことをおかしいと認識して、改善しようというアイディア、それを思いつかなかったこと。それは本当に私が普通と違うところだと思いました。
危険を認識したり、想像したりできない私がいる。そんなことを気づけた事件でした。
しおり
2017年7月、あのとき、わたしはしおりちゃんと一緒に、いや多くの方々を巻き添えにして大事故で天に帰っていた可能性が高かった。それが、エンジンが燃えてしまっただけで済み生かされているのは奇跡だと思う。
危なかった危機一髪を、見えない力で守られたあの出来事、今なら なぜそんなことになったのか、わかるのだけれど、あの時は なにがなんだか分からなかった。
しおりちゃんには、危険や、異常を察知する感覚が機能していない。今は、そのことに気がつき、注意深くあろうと努力しているとは思う。でも、一つのことに集中していると、他のことには、気がつけないのだ。
身近にいて、いつもと違う音や、様相を聞いたり、見た時は教えてあげないといけない。誰もが同じように危険を察知できるわけではないことは、受け入れがたいけれど、「見ても見えていない」彼女を見てきて、今では 迷わず異変を伝える。時に応じて、周囲のみんなで、しおりちゃんの目や耳になる必要を感じる。
2017年7月、愛知と岐阜のコンサートを終えて、わたしは寝不足で長野への帰路の運転をしおりちゃんに交代してもらった。ぐっすり眠っていたが、ふと目が覚めると、両サイドを車がビュンビュン追い越している。スピードメーターを見ると、50キロで目を疑った。ここは高速道路だよね・・・。
「しおりちゃん、みんなにすごい勢いで追い越されてるよ。高速道路で50キロは遅いよ」と言うと、
「50キロ以上スピードが出ないんです。」と言う。「制限速度50キロって書いてありましたし。」と。
え??ビュンビュン追い越されても、危険を感じてないの?
「え?今ここは80キロだし、みんな120キロくらい出してるよ。」「50キロは危ないよ。」
後で聞けば、すでに30分くらいその状態で走り続けていたらしい。目の前にトンネルが迫っていた。目が覚めて、30秒以内の出来事だった。
「しおりちゃん、なにかおかしいよ。そこの空き地で止まって!」と指令した。
空き地に緊急停車してから、ドキドキしながら、ぐるぐると試し運転した。どうしたらいいだろう?遠出点検をしたばかりで、水やオイルも充填、交換し問題なしと言われていた。冷却水が入っているか確認した。入っていた。
「次のインターまで走って、高速降りて修理工場へ行く」と決めて、わたしが運転席に座り、トンネルに入る。
トンネルに入った途端、緊迫した。トンネルの壁で反響してくるエンジン音がおかしかった。
ミラーで、後ろから2台のトラックが迫ってくるのが見えた。アクセルを踏むと、温度計が急上昇、赤いところへ針が達して、アクセルが効かなくなった。ハザードランプをつけて余力で走った。
「しおりちゃん、念仏!」ととっさに大き声が出て 二人で念仏。もう、自分の力ではどうにもならない。死ぬかもしれない。
二台トラックは、横をすり抜けるように追い越した。わたしたちの車は、予測を超えて長く走り、緊急駐車帯のすぐ手前の一台だけ車が入るスポットへ、かろうじて突っ込んで止まった。
止まったとたん、エンジンルームから煙が。それから、状況を伝える電話をかけた後、道路の脇で二人で念仏を唱えた。南無阿弥陀仏はサンスクリット語で「無限なる光にゆだねる」という祈りだ。夏のトンネルの蒸し暑さ、排気ガスの苦しさ、反響音、車はどうなるのか?無事に家に帰れるのか?不安や不快感が浄化されて、幸せ感に満ちてくる不思議な体験をした。
その後、親切なジャフの運転手、修理工場の工場長さんのおかげで、夜7時に修理工場に着くことを受け入れてもらい、楽器や音響機材すべての荷物と一緒に、工場長さんの車で、家まで送り届けてもらい、お風呂に入り安心して眠ることができたのは奇跡。
エンジンは完全に燃えてしまい、積み替えることになった。二つの修理工場の修理工の方に説明を求めた。何かの拍子に、冷却水が急速に漏れたか、冷却水をエンジンに運ぶパイプに異常が起きていたか?点検の時には、異常がなかったから、予測できない不備が生じたのだろうが、異常が起きれば、最近の車は正常に機能しないようにできてるからエンジンを燃やすところまでは至らないはずだけど、なぜ燃えてしまったのだろう?と。
車は確かに正常に機能していなかったが、しおりちゃんは、車が正常でないことに気がつかなったのだ。
しおりちゃんの発達障がいに気がついたのは、今年5月。昨年の7月に、わたしの視点は車の故障の原因に向かっていて、視点をしおりちゃんに向けていなかった。責めることになるので、その対応(感覚)はおかしいよとは言わなかった。
危険に気づけない場合、それは、なにかがおかしい。変だよと伝えても、伝わらなければ、なぜ伝わらないのか?謎を解かないといけない。その上で、みんなで気をつけて守ってゆく必要があると思う。
競争社会では、お互いに助け合い、連携しあうことを忘れがちだが、あるがままを知ることが、どう助けたらいいのか知ることになり、いのちに守るには、大事なことだと改めて思う。
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しおりちゃんの、ひとつに気を取られると他が見えない。一点集中型脳は、人のできないことをやり遂げる脳でもある。
やったことがないのに、電気のスイッチを直してくれたり、デザインのソフトをマニュアルを読んで使いこなしたり、素晴らしい能力をそなえている。
ただ、全体が見えないので、危機管理については周囲が気を配ることと、危険の察知のポイントをその都度、かみ砕いて伝えてゆくことが肝要な気がします。
有里
段取りがわからない
遊里庵では、今年の9月1日に、高烏谷山登山と山頂コンサートのイベントをしました。
遊里庵は高烏谷山の裾野にあって、いつも散歩している神社は森の中にあり、山頂にも神さまが祭られています。そこまで歩いて、お弁当を食べてコンサートというイベントです。
私は、来てくれる人のお弁当作りを担当したのですが、そこでもハプニングが・・・!
前日、私はピーマンの肉詰めを作りました。そこで、なにを思ったのか、参加してくれる人のアレルギーについて聞かなければ!と使命感に燃え、参加者に連絡をとりました。
メニューを決め、買い物もすませ、すでに明日、焼くだけでおかずになるものを作った後です。
そして、アレルギーや苦手なものを聞いた後、なんでも大丈夫という返事や、これやあれが、避けてる食べ物だよと連絡が届き始めました。
その中に、すでにピーマンの肉詰めに使っている鶏肉、コショウなどの香辛料を避けている人がいました。私の脳はフリーズ。どうしたらいいのか、わからなくなって有里さんに相談しました。
有里さんから、そのタイミングでアレルギーのことは聞かないんだよ。もし、聞くとしてもメニューを決める前。
なぜ、しおりちゃんは聞いたの?そう、有里さんに質問されたとき、私は有里さんが別のイベントの時に、アレルギーなどを聞いていたことを思い出したから、質問を参加者にしたと言いました。
そして、あとで私はこの質問を、だれも食べられないものがない前提で質問をしていたことに気づきました。
有里さんは、とてもびっくりして呆れていました。その質問は、料理をする人が食べる人のことを思って、愛から聞いているということで。しおりちゃんの質問は人の真似ってこと?と。
なぜ、その質問をするのか理由がわかっていないので、質問をする適切なタイミングがわかりません。
だから、物事の順番が前後して、段取りがわからず、周囲を困惑させてきました。
今は有里さんが、質問の意図や意味を私にわかるように伝えてくれます。なので、次回同じようにご飯を作る機会がくれば、メニューを決める前にそういう質問をしたり、しなくてもいいときは連絡しないという選択ができるようになっているはずです。
しおり
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しおりちゃんの文章が明るくなっている。
起きてる出来事を客観的に見て、自分の行動のヘンテコさ加減をギャラリーのみなさんと楽しむ余裕が出て来たって感じ。
昨日だったか、虹のうたクラブの会報を2月に作る計画を相談してたら、しおりちゃんが「たのしいなぁ」って言った。その言葉は穏やかな幸せに満ちていて、そんなしおりちゃんを初めて見た気がした。。
しおりちゃんの現状を知っているのがわたしとわたしの数人の友達という状況が変った。心が緩んできている。隠していたことが開示されて、不安が消えた。
「心配」の概念が分からず、「借りる」と「もらう」の区別がつかなかったのは、つい先日のことだったけれど、「しあわせ」がまいおりてきた。
それは、読んであったかいメッセージをくれている友だちのおかげだと思う。「できないこと」が理由で人は離れて行かない。愛=ありのままの自分を愛することが、つながりの始まりなんだと、知らされた気がする。
また、特筆しなくてはいけないのが、昨日、しおりちゃんが、お母さんと電話で1時間も話せたことだった。お母さんは、このブログを読んでしおりちゃんの発達障がいを初めて知った。
発達障がいだと知って、ご両親がどう受け止めるか心配していた。悲しませてしまわないか?受け入れてもらえるか?と。
すると、「今まで辛かったでしょ。」と、知った直後なのに、落ち着いてねぎらってくれたそうだ。
それは、しおりちゃんにとっては、門出。ご両親を喜ばせる自分でありたいけどそれができないことをずっと悲しんできたと思うから。ご両親がありのままを受け入れてくれたら、もう、みんなと同じふりをしなくても良くなったよね。
世の中に無理して自分を合わせるのではなくて、ありのままの「自分」に、世界が対応してくれる。
だから、前向きに明るくなったんだね。
(9月1日の朝食)
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先日、しおりちゃんと一緒に、小谷村でひらかれた「メンタルヘルス市民大学」にシンガーとして参加した。
講師は、東京は調布の心の居場所レストランの「クッキングハウス」の代表の松浦さん。精神病院にケースワーカーとして勤めていた松浦さんが、病院では心の病は治らないと感じ、地域にひらかれた心の居場所レストランを創設した。
ご飯を一緒に料理して食べて、働ける人は働き、心の学びをして、地域で暮らし、回復しているメンバーたちが60名以上いて、メンタルヘルス大学にはスタッフも入れて10人以上が参加し、当事者研究の発表も、すべての人に役立ちそうな深い内容でした。
その時、松浦さんが、フィンランドの小さな病院から、世界に広がっている心の病を治す画期的な療法「オープンダイアログ」を紹介され、なんだかピンと来たのです。
オープンダイアログ(ひらかれた対話)は、本人抜きで治療法を決めず、医者とスタッフが、本人をサポートする家族や友だちの現場に出向いて対話を重ね、本人の心身が回復してゆく関係性を共に作ってゆく療法で、8割の患者さんが社会復帰を遂げているという。
この日記は、しおりちゃんとわたしとみなさんのオープンダイアログ(オープンな対話)ではないかと感じている。
一人一人の違いは蓋を開けてみれば驚くほどなのですが、その現状を知れば素直にびっくりする。そこを体感して、そのうえで気を取り直して、お互いに助け合う方法を探ってゆく。
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出来事が起こる時は、いつだって時間のリミットの中。わたしは、毎回、びっくりして、呆れて、なぜなのか質問して、原因を探し、次回は、うまく行くように、対話している。
ハイキングの前夜、しおりちゃんはお弁当担当だった。下ごしらえがばっちりできてうれしかったのだろう、みなさんに「食べれないもの」を問い合わせたが、お返事が予想に反していた。「なんでも食べれます」というお返事を期待していたらしい。
今更メニューを変えられないと相談されて、わたしは、イベントページに、すでにもう料理されてしまっていることを報告して、食べれないものもあるかもしれないけど、食べれるものもあるよ~みたいなメッセージを載せてから、しおりちゃんに語ること数時間・・・(笑)
人に質問する時は、まず 相手への関心、気遣いが始まりだということ。しおりちゃんは、相手への関心や気遣いではなく、「はーい、元気ですか?」みたいな「軽い挨拶」のつもりで、「食べれないものはなんですか?」と聞いてしまった。
質問を重ねてゆく。
料理を出された後で、他のメニューを出す気のない人が「今日はなにを食べたいですか?」と聞いてきたら、しおりちゃんはどう思うか?
歌手がコンサートを終えてから帰る直前に歌うつもりもなく、「今日は何の歌が聞きたいですか?」と聞くかどうか
いろんなケースを質問する。
リクエストに応じられるタイミングでないと聞いても意味がないことを、たくさんの例を挙げて 本人の納得行くまで説明し続けているなんて、なんてことだろう。
この1年5か月、なんどもなんども、このように相手に伝わるまで、情熱をもって話してきた。
誰もが分かってると思い込んでいた事柄が、さっぱり意味も分かりませんと困ってる人を目の前にして、心底戸惑いながらも、どこかで共通認識を得られるはずだと、ひとつも諦めずに、つながる回路を探し続け、今日まで一緒に暮らしてきた。
どこかで回路がつながると、ぼんやりしていた顔が、ぱっと明るく明確になる。
学んだことは確実にできるようになるが、応用ができるようになるのは、いつのことだろうか?
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ところで、この数か月 畑でずっとコスモスが咲いている。家じゅうにコスモスを飾っているけれど、しおりちゃんには、新鮮なコスモスと日数が経って元気のなくなったコスモスの見分けがつかないことに気がついた。
わたしは、畑から連れて帰ったばかりの元気なコスモスの花瓶の前を通ると、
いのちの力、美しさに感動して、「きれい!」と毎回見て褒めたたえてしまう。
花瓶の水の汚れも気になって、時間があれば毎朝、水あげをしている。
しおりちゃんは、水の汚れや、花が弱ってゆくことに気がつかないので
ある時聞いた。
「しおりちゃん お花を見てどう思う?」
「はい、花だなと思います。」
「感動しない?元気をもらわない?」
「いえ、花があることは分かります。」
でも、そのしおりちゃんが幸せを感じていた。
ありのままの自分が中心で生きると感覚が柔らかくひらいてゆく。
これからどうなってゆくんだろうね。楽しみだね。
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しおりちゃんが、遊里庵(ゆうりあん・有里の自宅)にやってきた - 発達障がい てんやわんや 日記
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自然とふれあうこと お散歩すること
私は、遊里庵に2017年の4月に遊里庵に来て、有里さんと畑の作業をしました。私の「食べるものを自分で作りたい」という言葉を、有里さんが覚えていてくれて、実際に有里さんの畑で、野菜を作ることになりました。
でも、その時の私は「これで自分で自分の食べるものを作れるぞ!やったー!」という気持ちはなく、なぜスコップで畑の畝をつくってるんだろう?とか思ってました。(耕運機で耕すのではないのか?)畝を一つ作るのも、一日かかって、溝を掘るのも全然掘り進められない。有里さんが反対側から掘り始めて、わたしが立っているところまで掘り進めて、ほとんど有里さんが掘ってしまいました。
自分の言葉と、思いと行動がつながっていない。
疲れることはしたくない。でも食べるものは安全なものがいい。という我がままな思考をしていました。
農作業=疲れること
そういう図式が出来上がっていました。
有里さんは畑をして、神社まで散歩に行くというのが、お決まりのコースだったようで私にも勧めてくれました。当時は、「散歩に今から行くの?!なんで?」と思ってて、意味がわかりませんでした。
ある日、有里さんは用事があったので、畑をした後に遊里庵に帰ることになり、私は一人で神社まで行くと言いました。
でも、その時の私は体力がなくて、村の山際の鳥居の下で寝っ転がって寝てしまいました。ぽかぽか陽気で、とっても気持ちよくて、人影もなくて、寝ていてもだれも、気にしないだろうと思っていました。
人の目よりも草の上で寝転ぶ気持ちよさや、眠さのほうが勝ったのです。
そのことを、有里さんに話すと、大笑い。今まで森の中でワークするとき、近くの森の中で寝転んだりする人はいたけれど、見晴らしのいいあの場所で寝転んだっていう人は初めてだよ。きっと、村の人たちは、不思議に思ってたんじゃない?って言われました。
今の私は、畑とお散歩は有里さんと同じようにセットになっています。
それは、自分にとって気持ちいいことだってわかったから、そして、それを繰り返すと体力もついてきて、気力も持つようになりました。
散歩を繰り返すと、心が安定する気がします。森の木々の間を、通り抜ける風の音。鳥の声。水のせせらぎ。
そういう自然の音に耳をすませる時間が、私は好きです。
しおり
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畑の楽しさ、散歩の気持ちよさは、最初は分からないかもしれない。
ある程度続けると体が元気になり、心も清まって、気力も蘇るので、その楽しみ方が分かってくるような気がします。
また、わたしの暮らす過疎の村で、畑を心から楽しんでやってる人は数人しかいないなぁと感じるのです。広大な面積に単一作物を農業機械や農薬、除草剤を駆使して効率的に生産するのでは、工場とあまり変わらず、いのちに触れるゆっくりとした時間も空間も生まれてこない気がします。
自分が食べたいものを各種育てている無農薬の菜園は、遊里庵をいれて3か所あり、草も生えて虫もいて、野菜に花も混じって、個性的でのどかで楽しそうに見えます。
畑に行くとやりたいことが次々出てきて、時間はあっという間です。刈った草は肥料になり循環するし、帰りには山ほどの野菜を畑からいただいて、無限なる循環に感謝でいっぱい。からだを動かして実感を得て、満ちる感謝は生きる力になります。
とれた野菜を入れた籠は日陰に置いて、さらに山を登ります。
山の中に神社があり、森を30分登ると境内に着きます。雑念が清められ、インスピレーションがわきます。「散歩」は、かけがえのない森林セラピーの時間で、素晴らしい散歩道ですが、そこを日常的に歩く村人は、今はわたしとしおりちゃんくらいです。
歩くことで、筋力がつき、心身がリフレッシュし悩みが洗い流され、よきアイデアがわき、良いこと尽くしなのですが、続けてみないと分からないので、日々の情報の多さと忙しさに、人はシンプルなことの素晴らしさを忘れてしまいがちなのかもしれません。
散歩するには、自分の時間、情報、生産性を手放す意思が必要で、その時にこそ、この宇宙にあるべき姿で蘇るクリアリングが行われることを分かっていれば、続けられる気がします。邪気がなく純粋であることが生きる喜びの源だと感じます。
しおりちゃんも、「畑をやりたい」と言って遊里庵に来たのですが、始めて見れば、畝のひとつも一人で作れそうになかったのです。なんでこんなことやらないといけないの?と「いやだ」の「反応」が起きていました。
片道30分の神社への散歩などは、「なんのため?わけわからない。」と思っていたと話してくれました。
便利な社会で生まれ育った世代は、心身に力がなく、豊かで気持ちのいい仕事も、楽しむ前に、「疲れること」と頭で認識、拒絶反応が出てしまうのだと思います。
来た当初は、仕事らしい仕事はできればやりたくなくて、昼になるまで眠り続けることが最大の楽しみという状態だったと思います。
自然とふれあうと清まるので、まずは、自然と触れ合う時間を提案しました。食べることも大好きだったので、丁寧に美味しいお料理を作り、庭で食べてもらいました。歌うことが好きなようだったので、一緒に歌いました。
そして、基本的な暮らしが整ってゆくように、手とり足取り料理を教えました。なるべく畑のとり立て野菜を使い、素材のおいしさ、種類の組み合わせで味も風味も変わることを知ってもらい、毎日ふんだんに、青空の下で、縁側で語らいながら食べました。
物事を大きなサイクルで見てゆけるように、畑は一年を体験することが自分を知ることであると意図を伝えました。
日々歩く散歩道も一年で様相が変わってゆきます。地球という環境に生かされていることを実感してもらうことが、自分を知る手掛かりになると感じ、外で過ごす時間をたくさん作りました。
次の世代を育てるつもりで、自然と共にある暮らしの楽しみ方と仕事の両方を、伝授していったのです。
ある日、突然やってきたしおりちゃんに この世で豊かに生きてゆけるように、なすべきこと全力トライし始めたのは、家出をした次男八星が、この世での生き方を見つけらず、いのちを全うできなかった悲しい出来事があったからだと思います。
人と違っても、あなたは素晴らしい!個性を生かして、豊かに生きてい行けるその方法を教えてあげたかった。
悔やんでも悔やみきれない悲しみの中で、わたしの中に「社会的母性」が生まれたのだと思っています。
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しかし、しおりちゃんは、教えても忘れてしまうし、理解できていない「概念」がたくさんあることは、発達障がいと分かる前からも、手応えのなさで察することはできました。
どの程度理解し、記憶に残るのかは 分からなかったけれど、有機的な体験を積み重ねることが鍵かな?と、一日いちにち、できることを、本気でかかわりました。
それが、思いも寄らない「てんやわんやな日々」となり、ひとりの人間が自分自身と出会うまでの宝物のプロセスがどんどん展開してゆきました。今もその物語は続いていて、日々がやっぱり「てんやわんや」です。うれしいことも、悲しいことも、苛立つことも全部含まれて 物語は展開してゆきます。
この日記は、しおりちゃんがすごい勢いで書き進めるので、わたしは睡眠時間を削って追っかけて必死で書いています。笑(何日も前に、しおりちゃんがブログページを自主的に開設して、わたしが書くのを待っていました)
しおりちゃんは、この日記を始めて反応がとても多いことと、ありのままの自分にあたたかい声援が届くことが、とてもうれしくて 希望に満ちています。
ひとりひとりのありのままの自分と出会うチャレンジする日々は、ユニークで想像を超えた宝物なのだと思います。
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ところで、話を本題に戻すと、しおりちゃんは、いつの間にか、時間が許せば、「畑と散歩に行ってきます!」と、元気よく、一輪車に野菜かご、鎌、収穫のハサミなどを積んで出かけてゆくようになりました。畑と散歩に行く時間を作るために、家事をテキパキこなすようになっています。
遊里庵に来るようになって、数か月後、ある朝突然、普通に起きれるようになったのです。
「一日は24時間しかない。という言葉が頭をぐるぐるまわりだした」と。暮らしの仕事を自らの意思でやるようになり、教えられたことは忘れないように、こまめにメモをするようになりました。
わたしは、しおりちゃんの暮らしを、自然界はいつも見守り、それぞれに必要なメッセージを必要なタイミングでダイレクトに伝えてくれているような気がしています。
有里
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